2018年2月17日 (土)

中漠:晴天航路編⑬三好が来たぁ!!

 三好千熊丸、元服して孫次郎長慶は細川晴元に仕えることになりましたが、間違いなく内心忸怩たるものであったと想像できます。一説に1547年(天文十六年)の舎利寺の戦いが起こるまで、自分の父親の死に三好政長が関わっていたことを知らず、敵として戦...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月10日 (土)

中漠:晴天航路編⑫堺の避難所

 本稿においては天文法華乱後における法華宗の動向を取り上げてゆきたいと思います。  大徳寺の堺進出と堺町衆との結託による影響力増大を説明するに当たり、その前段階としてその両者をつなぐ存在としての堺へ亡命した法華衆の動向を外すことは出来ないと...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 3日 (土)

中漠:晴天航路編⑪武野仲材のアーバンライフⅡ

 連歌師としての武野紹鴎の業績はあまりぱっとしたものではありませんでした。武野新五郎が上京して間もなく、三條西実隆の門を叩く以前の、1526年(大永六年)九月十三日連歌師の宗碩※や印政らが開催した「何人百韻」という連歌会が興行され、ここに武...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月27日 (土)

中漠:晴天航路編⑩武野仲材のアーバンライフⅠ

  本稿で取り上げるのは、茶人として後世に名を遺した武野紹鴎です。彼が上洛して京文化を吸収していた時期はまさに、桂川原合戦から天文法華乱までの間のまさに混沌とした時代でした。 ● 本稿の主人公とシラバス  武野紹鴎こと、武野新五郎...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月20日 (土)

中漠:晴天航路編⑨蓮淳・イスト・ヴィーダー・ダー

 タイトルはドイツ語です。直訳すると「蓮淳がまたここにいる」、意訳すると「帰ってきた蓮淳」という感じになります。とある映画化された小説のタイトルをパクってます。すみません。   下間頼玄、頼盛親子には味方についた三好千熊丸を説得し...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月13日 (土)

中漠:晴天航路編⑧調略合戦

 証如の石山退去に失敗した下間頼玄、頼盛親子は腹をくくるしかありませんでした。何より優先したのが石山本願寺防衛のために、諸国の門徒衆に動員をかけたことです。四月四日に蓮応こと、下間頼玄は飛騨国白川郷の照蓮寺に本願寺防衛のための出兵以来の書状...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年1月 6日 (土)

中漠:晴天航路編⑦河内の重力に魂を惹かれる

 下間頼秀の後を受けたのはその弟頼盛と二人の父親頼玄でした。頼盛は前線指揮官タイプでしたので、証如側近のとりまとめとしては心もとなく、天文三年の二月に寺務のベテランである父親がフォローすることになったということでありましょう。このあたり想像...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月30日 (土)

中漠:晴天航路編⑥誘い受けの講和条件

  細川晴国の挙兵によって石山御坊の証如たちが得たものは、体制固めのための時間でした。それまでの石山御坊は山科本願寺の陥落でその傍にいたのは曾祖叔父にあたる実従と山科陥落の報を受けて加賀から急遽石山に駆けつけた下間頼秀だけだったの...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月23日 (土)

中漠:晴天航路編⑤細川晴国の乱

 細川晴国は大物にて無念の戦死を遂げた細川高国の弟でした。彼が起こした反乱は天文の錯乱(第一次石山戦争)の陰に隠れて見えにくいものですが、乱の展開に大きな影響を与えています。おそらくはこの挙兵の仕込みは波多野稙通によるものであったと思われま...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月16日 (土)

中漠:晴天航路編④両属の衆

 飯盛山城を攻囲された木澤長政を救助するために門徒衆を動員する戦略を立てたのは茨木長隆で間違いないでしょう。彼の出自である茨木氏は摂津国にある興福寺所有の荘園の荘官出身でした。彼と本願寺を繋ぐ縁ですが、一世代前の一族に茨木近江守という人物が...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«中漠:晴天航路編③木澤のオッサンの唄Ⅱ