2017年9月17日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-5 ②某年八月上旬:第一次小豆坂合戦

 本稿は私が立てた仮説を述べます。  本稿で言及する「第一次小豆坂合戦」については論文での言及はありません。それももっともなことで、第一次小豆坂合戦は通説においては天文十一年に起こった事と言われているからです。 ここに一つの史料があります。...

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2017年9月16日 (土)

6-5 ①天文十六年七月:医王山砦落成

 今川軍が今橋を攻めた翌年、今川義元は天野景泰に命じて医王山砦を建てさせました。三河の国の中央部は北部の美濃・信濃国境から南部の臨海部までを三河山地と呼ばれる山岳地帯が占めています。そこを南東から北西にかけて鎌倉街道が貫いています。現在概ね...

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2017年9月10日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-4 天文十五年:今川軍の今橋攻め(十一月~翌六月の間)

 今川軍の今橋城攻めについて論文は、今橋攻めが松平広忠に与えた影響に焦点を当てて考察しております。論文によると、天文十五年十一月以降の時期は松平広忠にとって今川という援軍が三河国にやって来た、反撃のチャンスだったとのこと。しかし、この時期広...

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2017年9月 9日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-3 ②天文十四年:安城清縄手の戦い(常山紀談~譜牒余録)

 本稿では前稿にひきつづき、安城清縄手の戦いの描写変遷を追いかけてゆきます。 〇柳営秘鑑(1743年(寛保三年)成立 WikiPedia 柳営秘鑑より引用)(拙稿にて下線部付記) 一、扇の御馬印ハ五本骨ニ而親骨の方を竿付尓して被為持。元来、...

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2017年9月 3日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-3 ①天文十四年:安城清縄手の戦い(寛永諸家系図伝~貞享書上)

 論文において天文十四年四月に起こった安城清縄手の戦いについて、以下のようなコメントをされております。 〇論文より引用  安城清縄手の戦いは、のちに岡崎藩主となった本多家などに十七世紀に伝えられたものである。同時代史料によって確認できないが...

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2017年9月 2日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-2 天文十三年:井ノ口合戦と阿部大蔵の尾張表進出

 論文は、「天文十三年九月の美濃における織田信秀大敗は西三河に影響し、岡崎城主松平広忠による織田への反転攻勢を生じた。」とだけ記しております。  その内容については過去に当ブログ「川の戦国史」の記事で詳しくやりましたので、詳しくはブログ記事...

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2017年8月27日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-1 ②天文十二年以前:安城城陥落(内藤正成譜の上野城合戦記事)

 本稿は前稿の補足として寛永諸家系図伝の内藤正成譜が天文十一年十二月にあったとしている上野城攻防記事についてとりあげます。内藤氏は秀郷流藤原氏の一族で足利尊氏の挙兵に呼応して従軍した三河国人細川氏についていった一派が後に管領細川氏の内衆とし...

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2017年8月26日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 6-1 ①天文十二年以前:安城城陥落(第一次小豆坂合戦)

 前節で天文九年安城陥落説について検討し、「天文九年」という時期は後代になって付け加えられたものである可能性を検証してみました。安城市史1 通史編 原始・古代・中世によると、天文九年の織田信秀の安城攻撃を受け、「これ以降の三河における織田方...

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2017年8月20日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 第6節の論点抽出:仮説は史実に矛盾していないだろうか?

 本稿は論文第6節松平広忠降参情報の信憑性」について考察するものです。    論文中のこの節は今まで論文が「証明」してきた論点を用いて、それが実際の史実にどのように反映しうるかについて言及しています。このような進め方をする目的は、...

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2017年8月19日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 5-5 今橋を「本意」にしたのは、去年(天文十六年)の事か?

 本稿の論点は私自身、さほど重要な物とは考えておりません。氏康書状が去年のことと言っているのはあくまで安城をめぐる合戦についてのことであって、今川義元が今橋を「本意に致した」と書いている部分にはかかっていないと考えているからです。仮にかかっ...

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