2018年5月19日 (土)

中漠:晴天航路編㉖はてなの宗三Ⅰ

 江口合戦において三好宗三が討ち死にしたことにより、細川晴元は京を維持できなくなり、大御所足利義晴、将軍足利義藤(後の義輝)とともに都落ちすることになります。  本稿では少し別な角度から三好宗三という人物を中心として記述をしてみます。  い...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月12日 (土)

中漠:晴天航路編㉕江口合戦

 1548年(天文十七年)十月二十八日、細川晴元に宛ての三好宗三弾劾要請が拒絶されたことを受けて、三好長慶は摂津越水城から出陣しました。先鋒を務めるのは讃岐守護代十河一存。彼は三好之虎、安宅冬康と同じく三好長慶の弟で、鬼十河と恐れられる猛将...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月 5日 (土)

中漠:晴天航路編㉔愛される三好のために

 細川晴元と三好長慶の対立の根は相当深いものでした。そもそもを説き起こせば、曾祖父に当たる三好之長が応仁の乱の折に京で土一揆を起こしたことに起因します。何年にも及ぶ長期の在陣で心がすさんでいたこともあり、部下を慰撫して士気を高める為に、部隊...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月28日 (土)

中漠:晴天航路編㉓池田家騒動

 舎利寺合戦の勝利により細川晴元の立場は強化されたはずでした。その立て役者は六角定頼です。彼が細川晴元側につくことで足利義晴が屈服し、京の町衆も晴元支持勢力として取り込むことに成功しました。あとは、河内国を平定することによって畿内における細...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月21日 (土)

中漠:晴天航路編㉒左馬頭、萬に不弁

 前稿のヒキは詐欺のようなもので、実際に足利義維や本願寺が何かをしたということもなく、何かが出来た状況でもありませんでした。本稿では実際にあった事、ありえただろうことを峻別しつつとり進めてゆきたいと思います。  河内で遊佐長教が細川氏綱と尾...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月14日 (土)

中漠:晴天航路編㉑舎利寺合戦

  将軍山城の足利義晴に対して差し向けられた細川軍は主力ではありませんでした。何と言っても河内を手中に収めた遊佐長教が畠山政国の保護者として細川氏綱を旗印にして虎視眈々と三好政長が守る河内十七箇所に攻めこむ体制を整えておりましたの...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 7日 (土)

中漠:晴天航路編⑳勝軍山城の陣Ⅱ

 細川晴元は丹波神尾山城から摂津神呪寺を経て摂津越水城に居場所を移します。丹波衆は波多野稙通が死んで間もなく、今一つ信用が置けなかったためでありましょう。波多野稙通自身が以前に細川晴国が起こした反乱のバックアップをしていましたし、いつ氏綱側...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月31日 (土)

中漠:晴天航路編⑲勝軍山城の陣Ⅰ

 足利義晴は細川高国の傀儡として室町殿になったわけですが、高国脱落後、長く苦しい戦いを経て室町殿に返り咲いた人物です。そんな彼から見れば細川晴元は頼むに足らざる豎子であり、おそらくは晴元がいるからいつまで経っても幕府は脆弱なのであると考えて...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月24日 (土)

中漠:晴天航路編⑱堺がもたらしたものが細川晴元を奔らす

 1546年(天文十五年)三好政長と長慶は、氏綱方として叛意を明らかにした遊佐長教を討つべく、堺に入ります。しかし、この情報は事前に漏れていたらしく、堺は逆に遊佐軍に包囲されてしまいました。かつて、河内の門徒衆は堺に襲い掛かって三好長慶の父...

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月17日 (土)

中漠:晴天航路編⑰氏綱、立つ

 細川高国派は大物崩れで壊滅したかのように見えましたが、実際はそうでもなく天文錯乱のさなかに彼の弟の晴国が挙兵し、薬師寺国長を討つなどして頑張っていました。しかし、その活動は第一次石山合戦の喧騒にかき消されるようにすり潰された上に、最後の頼...

» 続きを読む

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«中漠:晴天航路編⑯法華の帰還