2018年6月16日 (土)

中漠:晴天航路編㉚晴天航路編年表

本編のおまけとして関連年表を付けます。 1520年(永正十七年)__五月__五日_等持院合戦。細川高国、三好之長を下して京を奪還する。 1521年(永正十八年)__三月__七日_足利義稙、京を出奔。 _____________二十二日_後柏...

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2018年6月 9日 (土)

中漠:晴天航路編㉙晴天已に死す

 我慢の人である三好長慶が三好宗三を討って得たものは、細川晴元の徹底的な拒絶でした。細川晴元は京に戻るや否や大御所足利義晴と将軍足利義藤を連れて近江国朽木に逃れ徹底抗戦の構えに出ます。これ、三好軍がまだ上洛すらしていない段階でそうしてしまう...

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2018年6月 2日 (土)

中漠:晴天航路編㉘はてなの宗三Ⅲ

  前稿で1549年(天文十八年)二月十一日~十三日に三好宗三が茶会に参加したという記録は、足利季世記・細川両家記が語る江口合戦における合戦経過と矛盾する旨、書きました。足利季世記・細川両家記よりも天王寺屋会記の方を疑う根拠は極め...

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2018年5月27日 (日)

中漠:晴天航路編㉗はてなの宗三Ⅱ

 三好宗三の墓所の宗旨は三好家が代々帰依していた真言宗でも、今谷明氏らが昔から縁があったと強調している法華宗でも、後に三好長慶が帰依することになる大徳寺派臨済宗でもありません。堺にある善長寺という西山派浄土宗がその宗旨です。同寺は後に鎮西派...

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2018年5月19日 (土)

中漠:晴天航路編㉖はてなの宗三Ⅰ

 江口合戦において三好宗三が討ち死にしたことにより、細川晴元は京を維持できなくなり、大御所足利義晴、将軍足利義藤(後の義輝)とともに都落ちすることになります。  本稿では少し別な角度から三好宗三という人物を中心として記述をしてみます。  い...

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2018年5月12日 (土)

中漠:晴天航路編㉕江口合戦

 1548年(天文十七年)十月二十八日、細川晴元に宛ての三好宗三弾劾要請が拒絶されたことを受けて、三好長慶は摂津越水城から出陣しました。先鋒を務めるのは讃岐守護代十河一存。彼は三好之虎、安宅冬康と同じく三好長慶の弟で、鬼十河と恐れられる猛将...

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2018年5月 5日 (土)

中漠:晴天航路編㉔愛される三好のために

 細川晴元と三好長慶の対立の根は相当深いものでした。そもそもを説き起こせば、曾祖父に当たる三好之長が応仁の乱の折に京で土一揆を起こしたことに起因します。何年にも及ぶ長期の在陣で心がすさんでいたこともあり、部下を慰撫して士気を高める為に、部隊...

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2018年4月28日 (土)

中漠:晴天航路編㉓池田家騒動

 舎利寺合戦の勝利により細川晴元の立場は強化されたはずでした。その立て役者は六角定頼です。彼が細川晴元側につくことで足利義晴が屈服し、京の町衆も晴元支持勢力として取り込むことに成功しました。あとは、河内国を平定することによって畿内における細...

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2018年4月21日 (土)

中漠:晴天航路編㉒左馬頭、萬に不弁

 前稿のヒキは詐欺のようなもので、実際に足利義維や本願寺が何かをしたということもなく、何かが出来た状況でもありませんでした。本稿では実際にあった事、ありえただろうことを峻別しつつとり進めてゆきたいと思います。  河内で遊佐長教が細川氏綱と尾...

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2018年4月14日 (土)

中漠:晴天航路編㉑舎利寺合戦

  将軍山城の足利義晴に対して差し向けられた細川軍は主力ではありませんでした。何と言っても河内を手中に収めた遊佐長教が畠山政国の保護者として細川氏綱を旗印にして虎視眈々と三好政長が守る河内十七箇所に攻めこむ体制を整えておりましたの...

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