2018年4月21日 (土)

中漠:晴天航路編㉒左馬頭、萬に不弁

 前稿のヒキは詐欺のようなもので、実際に足利義維や本願寺が何かをしたということもなく、何かが出来た状況でもありませんでした。本稿では実際にあった事、ありえただろうことを峻別しつつとり進めてゆきたいと思います。  河内で遊佐長教が細川氏綱と尾...

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2018年4月14日 (土)

中漠:晴天航路編㉑舎利寺合戦

  将軍山城の足利義晴に対して差し向けられた細川軍は主力ではありませんでした。何と言っても河内を手中に収めた遊佐長教が畠山政国の保護者として細川氏綱を旗印にして虎視眈々と三好政長が守る河内十七箇所に攻めこむ体制を整えておりましたの...

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2018年4月 7日 (土)

中漠:晴天航路編⑳勝軍山城の陣Ⅱ

 細川晴元は丹波神尾山城から摂津神呪寺を経て摂津越水城に居場所を移します。丹波衆は波多野稙通が死んで間もなく、今一つ信用が置けなかったためでありましょう。波多野稙通自身が以前に細川晴国が起こした反乱のバックアップをしていましたし、いつ氏綱側...

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2018年3月31日 (土)

中漠:晴天航路編⑲勝軍山城の陣Ⅰ

 足利義晴は細川高国の傀儡として室町殿になったわけですが、高国脱落後、長く苦しい戦いを経て室町殿に返り咲いた人物です。そんな彼から見れば細川晴元は頼むに足らざる豎子であり、おそらくは晴元がいるからいつまで経っても幕府は脆弱なのであると考えて...

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2018年3月24日 (土)

中漠:晴天航路編⑱堺がもたらしたものが細川晴元を奔らす

 1546年(天文十五年)三好政長と長慶は、氏綱方として叛意を明らかにした遊佐長教を討つべく、堺に入ります。しかし、この情報は事前に漏れていたらしく、堺は逆に遊佐軍に包囲されてしまいました。かつて、河内の門徒衆は堺に襲い掛かって三好長慶の父...

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2018年3月17日 (土)

中漠:晴天航路編⑰氏綱、立つ

 細川高国派は大物崩れで壊滅したかのように見えましたが、実際はそうでもなく天文錯乱のさなかに彼の弟の晴国が挙兵し、薬師寺国長を討つなどして頑張っていました。しかし、その活動は第一次石山合戦の喧騒にかき消されるようにすり潰された上に、最後の頼...

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2018年3月10日 (土)

中漠:晴天航路編⑯法華の帰還

 天文法華の大虐殺以降、京の復興は一向に進まず、その間三好長慶や木澤長政の軍勢が京を脅かしても、将軍や右京大夫は京を防衛するどころか御所を洛外に移して逃亡する始末で、誰も京の街を守ろうと考えるものはいませんでした。せいぜい木澤長政くらいなも...

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2018年3月 3日 (土)

中漠:晴天航路編⑮木澤のオッサンの唄Ⅳ

 一庫城救援後、木澤長政は越水城を攻めますが、それと同時に足利義晴宛に一通の手紙を送ります。そこには自分が上洛をするので、京都の警護役に任命して欲しいという要請でした。この当時京都は天文法華乱からすでに六年も経過しているにもかかわらず、荒廃...

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2018年2月24日 (土)

中漠:晴天航路編⑭木澤のオッサンの唄Ⅲ

 第一次石山合戦後の河内の処分において、木澤長政は優位を築くことができました。細川晴元(六郎)が畠山長経の尾州畠山家相続に難色を示したのです。細川晴元にとって尾州畠山家は細川高国一派の残党ですし、石山合戦のどさくさに紛れて畠山稙長が高屋城に...

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2018年2月17日 (土)

中漠:晴天航路編⑬三好が来たぁ!!

 三好千熊丸、元服して孫次郎長慶は細川晴元に仕えることになりましたが、間違いなく内心忸怩たるものであったと想像できます。一説に1547年(天文十六年)の舎利寺の戦いが起こるまで、自分の父親の死に三好政長が関わっていたことを知らず、敵として戦...

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