2017年6月24日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 3-3 ②『古証文』の底本は何か?

ここまでの論点を整理すると以下のようになります。 ① 現存する三種の古証文写本には判読困難な文言がそのままの字形や、改行・改頁位置で書写されている。 ② 朝野旧聞ほう藁は古証文の判読困難な文言の解読を試みた形跡がある。 ③ 旧蔵所不明本古証...

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2017年6月18日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 3-3 ①『古証文』の底本は何か?

 本稿では古証文の現存する三種写本の成り立ちについて、考察してゆきます。とは言っても情報は限られていますので、明確な結論を出すところまでは至らないのですが、ある程度の輪郭は描けたらいいなと思っております。  古証文と朝野旧聞ほう藁との関係は...

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2017年6月17日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 3-2 織田信秀は出兵を今川義元に相談したのか?

  論文の第3節は北条氏康書状の紹介からすぐに補足に入っています。 〇論文より引用(下線部は拙稿にて付記) 仍て三州の儀、駿州に相談せられ、去年かの国に向け軍を起こされ、安城は要害、即時に敗れるるの由候 (中略) *傍線を付した二...

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2017年6月11日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 3-1 北条氏康書状作成の背景について

  北条氏康書状は天文十七年三月十一日に出された書状です。この書状が書かれてからわずか八日後、三河国の西から東下してくる織田信秀率いる尾張衆と、東から西上する太原崇孚率いる駿河衆が小豆坂で激突し、雌雄を決したいわゆる「第二次小豆坂...

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2017年6月10日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 第3節の論点抽出:北条氏康書状のプロファイル(その1)

 本稿は論文第3節:「織田信秀の岡崎攻落を伝える別文書 」について考察する物です。  論文の第3節と第4節は論文著者が以前記した北条氏康書状に関する論考記事を撤回して、今回の新説に組み込むための儀式のような内容ですので、論文の第3節前半部分...

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2017年6月 4日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 2-5 論文が日覚書状から読み取ったこと。読み取っていないこと。

 論文が日覚書状から読みとったことは、実はこの章ではなく、次の「3.織田信秀の岡崎攻落を伝える別文書」に記されております。次の章の前半部分は前章のまとめ、後半部分で別文書の紹介から新たな論点を展開しておりますので、今までの考察内容を踏まえて...

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2017年6月 3日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 2-4 日覚が聞いた話の出所と経緯はどうなっているのか?

 弾正忠三河平均の翌日に上洛という解釈は状況的に難しいとすれば、日覚書状の解釈に問題があるはずです。であれば、別解としてどのようなものが考えられるでしょうか。次のセンテンスが問題の部分です。 〇論文より引用 弾ハ三州平均、その翌日ニ京上候 ...

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2017年5月28日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 2-3 日覚は本当の事(岡崎降参、弾正忠上洛)を書いているのか?

 日覚の書状には通説に見られない出来事が出来したとの記述が論文にあります。それが書状作成時点(天文十六年九月)時点での岡崎こと松平広忠の降参と織田信秀の上洛です。 (a)松平広忠は降参したのか  論文は日覚書状の以下の文言の存在をもって、松...

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2017年5月27日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 2-2 誰が誰の事を「愛想なし」と思ったか?

 昔の書状には「て、に、を、は」がついていないことが多く、それによって多様な解釈が生じてしまうわけなのですが、日覚の書状にもこんなセンテンスがあります。 〇論文より引用(敬語部分に下線を付記) 弾正忠一段ノ曲なく被思たるよしに候 (中略) ...

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2017年5月21日 (日)

川戦:安城合戦編Ⅱ 2-1 日覚は弾正忠がどの一国を管領すると言っているのか?

〇論文より引用 一、三州ハ駿河衆敗軍の様ニ候て、弾正忠先以一国を管領候、威勢前代未聞之様ニ其沙汰共候、 (中略) 天文十六年当時「弾正忠」を証して今川軍勢を破り三河を支配しうる人物は、織田信長の父、織田信秀のほかありえない。  論文において...

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