2020年7月 4日 (土)

中漠:善人令和編㉔丹波内藤家の黄昏

 東山霊山城合戦が起こった同じ月の二十二日、芥川城に籠城していた芥川孫十郎が降伏・開城します。彼の妻は三好三好長慶の妹でした。三好長慶率いる二万五千の軍勢は将軍脱出後の東山霊山城をわずか一日で陥落させていますので、芥川城はその気になればいつ...

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2020年6月21日 (日)

中漠:善人令和編㉓将軍逃亡

 足利義藤が帰洛して以降、三好長慶は負け続きでした。そして負けが込んでくると、長慶の軍団は分裂の様相を呈してきます。その原因は三好長慶による細川氏綱擁立にありました。 江口合戦までは三好長慶と細川晴元との対立が主軸で、細川晴元は三好宗三では...

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2020年6月13日 (土)

中漠:善人令和編㉒細川持隆の年齢について

 ここまで細川持隆は勝瑞の変の段階で五十七歳、宗家の細川晴元とは十七歳の年齢差があり、長慶を始めとする三好兄弟の親代わりとなって支えてきた保護者として記載してきました。本稿は今谷明氏の「戦国三好一族」を主に参考とし、腹落ちしない部分は調べな...

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2020年6月 6日 (土)

中漠:善人令和編㉑鑓場義戦

 細川持隆が殺害された理由は何でしょうか。にわかに足利義冬の息子(義栄)を擁立して上洛しようと思い立ったが、三好之虎に露見したとか、三好之虎をにわかに憎み、相撲見物にかこつけて暗殺しようとした所、露見してしまったとか、色々憶測されているわけ...

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2020年5月30日 (土)

中漠:善人令和編⑳勝瑞の変

 舎利寺合戦においては、四国勢を交えた細川晴元とオール三好での戦いだったわけですが、その直後に三好家が長慶派と宗三派に分裂します。遊佐長教の調略に三好長慶がかかった形になったわけですが、形勢の悪い時には細川氏綱を隠してしまえる遊佐長教のした...

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2020年5月16日 (土)

中漠:善人令和編⑲細川持隆の本懐

 幕閣の争いにおいては伊勢貞孝が機先を制して上野信孝を圧倒していました。三好長慶と足利義藤との会見のセッティングおよびこの騒動の落としどころまでシナリオを書いていたのはおそらくは伊勢貞孝であったでしょう。では、なぜ足利義藤はその路線に乗らな...

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2020年5月 9日 (土)

中漠:善人令和編⑱足利義藤という男

 丹波遠征をめぐる一連の騒動で足利義藤は三好長慶の性格を把握したようです。戦争指揮能力と正義感は高いが、詰めが甘い善人であり、根回しが必要な利害関係の調整も不得意というところでしょうか。海千山千の曲者を相手にしてきた足利将軍の相としては軽く...

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2020年5月 2日 (土)

中漠:善人令和編⑰丹波遠征

 京近辺の情勢に戻ります。足利義藤と幕府の一行は目出度く京に帰還しました。細川氏綱は悲願であった細川京兆家の家督となり、三好長慶の下には細川晴元の嫡子聡明丸が戻ってきました。三好長慶に今回の戦争における恩賞はありませんでした。長慶としては三...

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2020年4月25日 (土)

中漠:善人令和編⑯萱振族滅

 遊佐長教の死は摂津・河内に激震を走らせました。三好長慶は二度の襲撃を生き延びましたが、遊佐長教にはその幸運の恩恵はなかったこと、そしてこの時朽木に逃れていた幕府との交渉が微妙な段階に入っていたことがその衝撃を増幅したのです。三好長慶にとっ...

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2020年4月11日 (土)

中漠:善人令和編⑮遊佐の王国

 遊佐長教の暗殺犯は珠阿弥ということになっていますが、彼がなぜ暗殺をしたのか、彼の背後にはどんな勢力がいたのかは謎です。足利義藤や細川晴元が疑われるのは、ぶっちゃけ一番偉いからで有名税のようなものです。実行犯である珠阿弥を含め遊佐長教は勢力...

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