2020年10月24日 (土)

中漠:善人令和編㉝三好家の宗旨報告書Ⅰ(三好之長・三好元長)

 三好元長以前の三好家の宗旨について調べがつきました。三好元長の墓所は阿波見性寺にあり、祖父三好之長及び息子の実休、孫の長治らの墓とともに鎮座しております。見性寺は現在臨済宗妙心寺派に属していますが、それは関ヶ原合戦後に阿波国に入った蜂須賀...

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2020年10月18日 (日)

中漠:善人令和編㉜弘治改元

 天文は二十四年で終わりをつげ、新たに弘治の年号が宣せられました。1555年(天文二十四年=弘治元年)の時点で当今(とうぎん・当代の天皇の事)であった後奈良天皇は健勝であり、代始の改元ではありません。干支は乙卯(きのとう)で、甲子でも辛酉で...

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2020年10月 3日 (土)

中漠:善人令和編㉛戦国時代の改元事情

 東山霊山城合戦で足利義藤(義輝)を都から追い落として以来、三好長慶による政権は比較的平穏でした。そんな三好政権に一つの政治的イベントが降ってきます。それが、後奈良天皇による改元の布告でした。その意義については、次稿で考察することとし、本稿...

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2020年9月26日 (土)

中漠:善人令和編㉚平島公方の冒険

 三好家は足利義冬(義維)を将軍職につける気はない。そのことを悟った足利義冬は阿波を出奔することにしました。三好家が足利義冬に対して冷淡な態度をとり続けている理由はよくわかりません。三好兄弟の父、元長が死んだ時に彼だけが生きて帰ってきたこと...

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2020年9月19日 (土)

中漠:善人令和編㉙三好会議

 足利義藤が朽木に落ち延びることになった原因は、側近の上野信孝と伊勢貞孝の対立にありました。伊勢貞孝は三好長慶と組み、洛中利権を取り込んで幕閣の中での影響力を強めようとしていました。それに対して上野信孝は三好長慶を目の敵にしたのです。これは...

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2020年8月29日 (土)

中漠:善人令和編㉘芥川城入城

 東山霊山城合戦に勝利した三好長慶は、そのまま兵を摂津に戻して芥川攻城戦を続行します。この城を守る芥川孫十郎はここまで追い詰められるまでに何度か降伏と挙兵を繰り返していましたが、年貢の納めどきは近づいていました。 三好長慶はここまでやっても...

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2020年8月 8日 (土)

中漠:善人令和編㉗鷹山弘頼の謀殺

 1546年(天文十五年)は普段は待ちの姿勢を貫く遊佐長教が積極的に動いた年でした。鷹山弘頼と安見宗房が山城上三郡(南山城の三郡)守護代に任じられたのもその布石でした。遊佐長教は摂津衆にも調略を仕掛け、晴元の勢力を蚕食したため、細川晴元は兵...

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2020年7月25日 (土)

中漠:善人令和編㉖鷹山弘頼と遊佐長教

 木澤長政が幕府の敵になった結果、鷹山弘頼は自らの存立基盤を脅かされます。当然、幕府からは木澤長政を見限れとの命令が来た筈です。鷹山弘頼はそれに従いました。摂津・山城との国境が近く、河内にも領地を持っている鷹山弘頼は現実的な判断をしたわけで...

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2020年7月18日 (土)

中漠:善人令和編㉕鷹山弘頼と木澤長政

 三好長慶は1553年(天文二十二年)八月一日の東山霊前城合戦において単独で戦っていた訳ではありません。途中で安見宗房率いる河内勢と合流しています。しかし、その河内の状況は非常に流動的でした。安見宗房には相方として抜擢された鷹山弘頼がいた筈...

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2020年7月 4日 (土)

中漠:善人令和編㉔丹波内藤家の黄昏

 東山霊山城合戦が起こった同じ月の二十二日、芥川城に籠城していた芥川孫十郎が降伏・開城します。彼の妻は三好三好長慶の妹でした。三好長慶率いる二万五千の軍勢は将軍脱出後の東山霊山城をわずか一日で陥落させていますので、芥川城はその気になればいつ...

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