2020年9月 5日 (土)

中漠:善人令和編㉙平島公方の冒険

 三好家は足利義冬(義維)を将軍職につける気はない。そのことを悟った足利義冬は阿波を出奔することにしました。三好家が足利義冬に対して冷淡な態度をとり続けている理由はよくわかりません。三好兄弟の父、元長が死んだ時に彼だけが生きて帰ってきたこと...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年8月29日 (土)

中漠:善人令和編㉘芥川城入城

 東山霊山城合戦に勝利した三好長慶は、そのまま兵を摂津に戻して芥川攻城戦を続行します。この城を守る芥川孫十郎はここまで追い詰められるまでに何度か降伏と挙兵を繰り返していましたが、年貢の納めどきは近づいていました。 三好長慶はここまでやっても...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年8月 8日 (土)

中漠:善人令和編㉗鷹山弘頼の謀殺

 1546年(天文十五年)は普段は待ちの姿勢を貫く遊佐長教が積極的に動いた年でした。鷹山弘頼と安見宗房が山城上三郡(南山城の三郡)守護代に任じられたのもその布石でした。遊佐長教は摂津衆にも調略を仕掛け、晴元の勢力を蚕食したため、細川晴元は兵...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年7月25日 (土)

中漠:善人令和編㉖鷹山弘頼と遊佐長教

 木澤長政が幕府の敵になった結果、鷹山弘頼は自らの存立基盤を脅かされます。当然、幕府からは木澤長政を見限れとの命令が来た筈です。鷹山弘頼はそれに従いました。摂津・山城との国境が近く、河内にも領地を持っている鷹山弘頼は現実的な判断をしたわけで...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年7月18日 (土)

中漠:善人令和編㉕鷹山弘頼と木澤長政

 三好長慶は1553年(天文二十二年)八月一日の東山霊前城合戦において単独で戦っていた訳ではありません。途中で安見宗房率いる河内勢と合流しています。しかし、その河内の状況は非常に流動的でした。安見宗房には相方として抜擢された鷹山弘頼がいた筈...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年7月 4日 (土)

中漠:善人令和編㉔丹波内藤家の黄昏

 東山霊山城合戦が起こった同じ月の二十二日、芥川城に籠城していた芥川孫十郎が降伏・開城します。彼の妻は三好三好長慶の妹でした。三好長慶率いる二万五千の軍勢は将軍脱出後の東山霊山城をわずか一日で陥落させていますので、芥川城はその気になればいつ...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年6月21日 (日)

中漠:善人令和編㉓将軍逃亡

 足利義藤が帰洛して以降、三好長慶は負け続きでした。そして負けが込んでくると、長慶の軍団は分裂の様相を呈してきます。その原因は三好長慶による細川氏綱擁立にありました。 江口合戦までは三好長慶と細川晴元との対立が主軸で、細川晴元は三好宗三では...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年6月13日 (土)

中漠:善人令和編㉒細川持隆の年齢について

 ここまで細川持隆は勝瑞の変の段階で五十七歳、宗家の細川晴元とは十七歳の年齢差があり、長慶を始めとする三好兄弟の親代わりとなって支えてきた保護者として記載してきました。本稿は今谷明氏の「戦国三好一族」を主に参考とし、腹落ちしない部分は調べな...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年6月 6日 (土)

中漠:善人令和編㉑鑓場義戦

 細川持隆が殺害された理由は何でしょうか。にわかに足利義冬の息子(義栄)を擁立して上洛しようと思い立ったが、三好之虎に露見したとか、三好之虎をにわかに憎み、相撲見物にかこつけて暗殺しようとした所、露見してしまったとか、色々憶測されているわけ...

» 続きを読む

| | コメント (0)

2020年5月30日 (土)

中漠:善人令和編⑳勝瑞の変

 舎利寺合戦においては、四国勢を交えた細川晴元とオール三好での戦いだったわけですが、その直後に三好家が長慶派と宗三派に分裂します。遊佐長教の調略に三好長慶がかかった形になったわけですが、形勢の悪い時には細川氏綱を隠してしまえる遊佐長教のした...

» 続きを読む

| | コメント (0)

«中漠:善人令和編⑲細川持隆の本懐