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2007年9月13日 (木)

川戦:蓮如編①考察の前提条件

 本稿において、蓮如といわゆる『一向一揆』を起こした門徒衆を取り上げます。ここでは特に特定の宗教を批判したり否定する意図はないことを先に明記しておきます。
 それを前提として、浄土真宗本願寺教団を率いた蓮如と門徒衆との思惑の違いについては一切考察しません。そして、浄土真宗の教義についても触れないこととします。
 本稿においては蓮如と一揆を起こした人々を含む門徒衆を一体と見なし、彼らが起こした事件を見てゆくことにします。その関連の中で、浮かび上がってくる門徒衆の性格を本稿で論じることを試みたいと思います。

とはいえ、本願寺教団の中興の祖である蓮如の生涯を追う所から始めてみたいと思います。

 応永22年(1415年)京都東山の本願寺で生まれる。
 長禄元年(1457年)本願寺の留守職を相続。
 寛正 6年(1465年)延暦寺、大谷本願寺を破却。隠居を強いられる。
 応仁 3年(1469年)大津南別所に顕証寺を建立、長男・順如を住持として祖像を同寺に置く。
 文明 3年(1471年)吉崎御坊を建立。
 文明 6年(1474年)加賀国富樫氏の内紛に介入。
 文明 7年(1475年)吉崎を退去。
 文明15年(1483年)山科本願寺の落成。
 文明18年(1486年)紀伊に下向。のちの鷺森別院の基礎ができる。
 長享 2年(1488年)加賀の一向一揆。
 延徳元年(1489年)寺務を子の実如にゆずり、山科南殿に隠居。
 明応 5年(1496年)大坂石山の地に石山御坊を建立。後の石山本願寺。
 明応 8年(1499年)山科にて入滅。

 彼は浄土真宗本願寺教団を率いる立場ではありましたが、その生涯において自らの寺を焼かれたり、新たな寺を建てたりしつつ、住処を転々と致しました。その転々とした過程で本願寺教団は復活をはたしました。諸所で弾圧を受けてなお、それらを跳ね返して隆盛をきわめたのです。
 先の年表に上げた諸寺の中にいくつか例外はあるものの大きな共通点があることがわかります。それが、本稿のメインテーマである『川の戦国史』の最初に蓮如を取り上げる理由です。

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