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2007年9月11日 (火)

川の戦国史:まえがき②

 川といっても海に注ぎ込む大きな川からそこらのどぶ川まで千差万別、その姿は一様ではありません。大きいものは古に文明をもたらしたものです。黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、ナイル文明。それぞれ黄河、ガンジス川、チグリス・ユーフラテス川、ナイル川と文明の発祥に川は不可欠でした。為政者の関心は川にあり、治水に成功したものは名君と呼びなわされています。尭舜もこれの成功によって帝王として祀り上げられたのです。川がもたらすものは豊饒の大地であり、収穫でした。そこに集落が出来て人が集まり社会を形成します。川は人のコミュニティの場を提供しました。
 ただし、川はしばしば氾濫し人の命すら奪います。それを抑えて、田畑に水を満たし豊かな収穫をもたらす者。それが王と謳われ、祀り上げられたわけです。そして、荒地を農地に変え、豊饒をなすためには、お百姓一人一人の努力では限界があります。組織を作り、役割を分担し、時に不公平が生じたとしても、結果として個人の力ではなしえない豊かな実りを実現することによって人々の生活を下支えする。そのシステムそのものが文明と呼ばれるものです。
 いきなり大きな話から切り出しましたが、川の周りに集落はでき、そこから農耕という共同社会が発生し、国となる。いうなれば、川の国の母なるものですね。人は水無しでは生きてはいけないものですから。ですが、川がもたらすものは農産物だけではありません。魚をとったりすることもできます。でも、それよりもっと大事な役割を川は持ちます。何だと思いますか?
 それは、船をつかって物資を運ぶことです。物流の路として川は機能しました。日本ではなぜか車輪が発達せず、陸路の輸送には人力や牛や馬が用いられていました。それとても大量の物資の輸送にはあまり適したものではありません。しかるに、船や筏を使えば、一度に大量の物資を運びこむことが出来ます。当たり前といえば当たり前なことですね。
 でも、これは重要なことなのです。それまでは一つの地域の中で物を循環させていればよかった。余所者が他の地方の物をもたらしたとしても、それはイレギュラーの一つで根付くことはありません。しかるに、水路で二つの地域がつながると、互いの地域にないものを手に入れることが出来るようになります。上流地域から檜の木を下流に流し、下流に生えている萱を上流に運び込むことによって、上流も下流も茅葺檜の家に住むことが出来るようになりますよね。そういう便利さがあることを互いの地域が知ることによって、地域相互の依存関係が成立します。川の流域に点在する村々はそういったネットワークを持っていることがよくあったようです。そして、その村の一つに何かをもたらして、受け入れられさえすれば、それは瞬く間に流域の村々に波及する。

 ずいぶんと前置きが長くなってしまいました。川の道に点在する村のネットワークを戦国の世にあって気づき、最大限に活用した者がいました。それが、本稿の最初の章で取り上げる考察対象です。

 ――それは、浄土真宗本願寺教団を率いる蓮如と彼を囲む門徒衆達です。

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