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2007年9月18日 (火)

川戦:蓮如編②前史

 歴史を語るときにはその前史から始めなければならないのがしち面倒くさいのですが、さくっとやっちゃおうと思います。
 そもそも、浄土真宗というのは鎌倉時代に活躍した親鸞を開祖とする浄土宗の分派です。浄土宗を起こしたのは法然という比叡山の学僧で、それまで戒律厳守を建前としていた比叡山延暦寺の表看板である天台密教のアンチテーゼというか、仏教教義の経年変化を極端に進めた教義を日本で広めた人でした。ちなみに、浄土宗の教義の元となった物は浄土教という中国仏教の分派の一つです。
 浄土宗の教えは簡単かつ乱暴に言うとひたすら念仏を唱えると浄土=極楽・天国に行けるというもので、その念じ方によって大量の分派をだしています。そして、信仰の対象が仏陀、ゴーダマシッダールタではなく、阿弥陀如来であることも特徴的です。阿弥陀信仰を語りだすとかなり長くなりますので、 この際端折りますが、当時の仏教の主流であった天台密教のそれと比べると、戒律は極めて緩く、遥かに自由度の高い教えでした。そのため、教えは学問をする余裕のある貴族や武士の知識階級にとどまらず、町人、農民、漁師などを中心に広まりました。
 そして、自由度が高いが故にこの浄土宗という宗教は同じ阿弥陀信仰をする時宗と同様、数多くの分派を生み出したのです。
 その中の一つが浄土真宗です。親鸞は法然の教義をさらに押し進め、新たな宗派を作りました。これもまた、浄土宗や法華宗などの鎌倉新仏教の代表的な宗旨として同様幅広く受け入れられてゆきました。
 この親鸞が画期的だったのは、日本の高僧で始めて妻帯したことです。それ以前の僧侶はみなすべて未婚もしくはヤモメ、つまり独身でなければなれませんでしたが、親鸞は不犯戒(異性と交わらない教え)まで自ら撤廃して見せたのでした。過激といえば過激かもしれません。
 でも、その過激な行動なくしては蓮如の存在はありませんでした。なぜなら、蓮如は親鸞の子孫なのですから。そして、それこそが蓮如の属する本願寺教団の最大のアピールポイントでした。
 つまり、それ以前の仏教各宗派は互いに勢力争いをしていましたが、その拠り所になるものは教義の正しさのはずです。しかしながら、本願寺教団においては、親鸞に連なる血統がそれに加味されたわけです。
 ただし、浄土真宗は親鸞の後いくつかの分派に分かれ互いに凌ぎを削っておりました。それ故、本願寺派は親鸞の血統を謳っているものの、他宗派のみならず、同じ浄土真宗教団分派と比べても教勢は劣っていたと思われます。むろん、教義の正しさが教勢に比例するわけではありません。
 そして、そのような情勢下で応永22年(1415年)京都東山の大谷本願寺で生まれました。時に室町幕府第四代将軍足利義持の時代です。先代の足利義満が南北朝の内乱時代を治め、自ら日本国王としてわが世の春を謳歌した、そんな時代から間もない頃でした。

 以降、蓮如ゆかりの寺社について、その関わりを中心に書いてみたいと思います。

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