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2007年10月25日 (木)

川戦:三河布教編①真宗分派概略

 前稿に引き続き、川の戦国史にて浄土真宗本願寺教団の動向を記して参ります。前稿においては、蓮如の生涯という軸を通して、本願寺教団が畿内・北陸に築いた拠点について説明しましたが、本稿においては蓮如が畿内・北陸以外にもう一つ活動の中心に据えた三河の地を中心に見ます。

 その前に、本稿において押さえておくべき浄土真宗の分派の概略を説明します。例によって、教義に踏み込んだ説明は最小限にします。私には荷が重いものですので。
 仏教はご存知の通り、ゴータマシッダールタ(仏陀)が開いた宗教です。本来の仏教は厳しい戒律を守ることを通して自らを救う教えであり、インドからタイ方面に伝わってゆきました。これを上座部仏教もしくは、小乗仏教といいます。後になってもう一つの流れが現れました。これは仏に帰依し、仏の慈悲によって解脱を果たすやり方です。これを大乗仏教といい、中国経由で日本に入ってきたものです。
 仏教の教義は仏典に記されているのですが、その仏典は仏陀が自分で書いたものは無く、ほとんどが仏陀の言葉を記したり、仏陀の考え方を仮託して書かれたものです。故にその教えは多岐にわたり、時に合い矛盾するものもあったりしました。その仏典の中にどういうわけか、自らの教義を破壊しかねないものがあり、それがどういうわけだが世の中に流行してしまったのです。これが末法思想です。末法思想というのは、仏陀の教えに耐用年数があるという、何を根拠にしたのか良くわからない考え方です。曰く、仏陀入滅後千年は正法の時代。仏陀に祈れば誰でも仏陀の力で解脱が果たせます。千年から二千年の間は像法の時代。これはしっかり修行をした人が救われる時代です。逆に言えば、救われる努力を怠った者は救われない時代です。そして二千年以降が末法の時代。これはどんなに修行をしても、仏陀に祈ってももはや仏陀の力はその末世の人々を救うまでには届かないという考え方です。この末法の始まりが大体平安時代の末期とされていました。
 神による救済のない宗教なんて、宗教としての価値は見出せませんし、おそらくはこいつはデマなんじゃないかと思うのですが、それを本気で信じた人たちがいました。そして、何とかしようと考えた人たちがいました。それは中国で起こりました。仏陀が救えないなら、仏陀の弟子で仏陀の後に仏になる如来に帰依するべし。という考え方です。その為に用意された如来が阿弥陀如来です。この阿弥陀如来への信仰が中国では浄土教になりました。それを日本で展開したのが法然の浄土宗であり、法然の弟子親鸞が開いた浄土真宗へと受継がれてゆくわけです。(もう一つ時宗の流れというものがあり、徳川家康の先祖が時宗の遊行僧だったりして、実に興味深い題材なんですが本稿では不勉強のこともあり割愛します)

 浄土宗及び浄土真宗とそれまでの旧仏教との大きな違いは戒律を撤廃し、ただひたすら阿弥陀に帰依することによって浄土に行けると主張したことです。簡単に言えば、往生するために出家する必要がなくなったということですね。貴族のような財力に余裕のある人たちだけではなく、武士や農民、商工業者にも解脱の道が拓かれたということです。この教義の大転換をマルチン・ルターやカルバンのキリスト教の宗教改革になぞらえる論者もいます。
 親鸞は京都で活躍しましたが、過激な思想であるために佐渡に流されました。その後、許されて後関東で活動したのち、京都の東山で死にました。
 親鸞が生前京都山科において興正寺という寺を開いたとされています。厳密にはその弟子である真仏あるいは、その後に関東から来た門徒達によるというのが正しいのですが、これがのちに京都東山汁谷という所に移って寺号を仏光寺と改め、真宗教団の一派を形成しました。これを仏光寺派といいます。
 親鸞の関東における拠点は下野国高田でここに根本道場を作りました。これが高田専修寺です。ここで活動する真宗教団を高田専修寺派といいます。この専修寺派は蓮如と同時代を生きた真慧が伊勢国津に建てた無量寿院を新たな根拠地とし、本願寺派のライバルとなってゆきます。

 そして、本願寺教団。すでに説明しましたとおり、親鸞の曾孫の覚如が親鸞の廟堂を寺として始めたのがこれです。一時期寂れていたのを蓮如が立て直し、山科本願寺から石山本願寺に拠点を移しながら、仏光寺派、高田専修寺派以上の教勢を天下に示しました。後に、織田信長の台頭とともに信長と戦うことになり、石山合戦を繰り広げることになります。本願寺教団はこれに敗北。信長の後継者である豊臣秀吉の時代を経て徳川家康は政治的策謀によって、本願寺教団を東本願寺と西本願寺に割ります。
 鎌倉から戦国まで、仏教教団は派閥抗争を繰り広げてきたのですが、この本願寺教団を本願寺派と大谷派に分割させたことを含む家康の宗教統制によって宗派間の対立は完全におさまりました。

 要点は、浄土真宗には三つの有力な派閥があるということ。一つは仏光寺派、一つは高田専修寺派、最後の一つが本願寺教団。以後の論考に進む前にまず、ここを抑えておいていただければ幸いです。

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