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2007年11月29日 (木)

川戦:源姓松平編④松平泰親

 松平親氏は松平家初代として各書に言及されているものの、同時代史料と目せるものが残っていません。そのため、生没年を含め、活動時期を確定できない部分があります。松平泰親は親氏の息子とも弟ともされています。親子として扱っている文書もあれば兄弟として扱っている書物もあり、今ひとつ決め手がありません。どちらを取るかによって、親氏の活動年代が左右されるのですが、決定的な根拠はありません。
 ただ、泰親については、同時代史料に存在証明があるのですね。三河国額田郡岩津に若一神社というのがあるのですが、そこの社殿と神体の建立趣意書が残っています。そこには応永33年(1426年)に松平太郎左衛門入道用金が施主となっていることが記されているそうです。太郎左衛門と用金の名は三河物語を始め、松平家の歴史を綴った諸書に残っているためこれを松平第二代泰親に比定することができます。
 三河物語などには岩津や岡崎の城を攻め取ったなどと華々しい記述がされているものの、そこは中山郷に攻め込んだ親氏にちなんだ記述と同じく脚色の可能性があるようです。
 松平家の家伝では、松平郷に土着した親氏は彼とは別に漂泊していた泰親をよびよせ、息子が幼少なゆえ三年半名代とさせたことになってます。そして、その泰親は岩津に進出します。岩津は矢作川流域の在所で、松平郷を開拓し、産物を川沿いに流通に乗せようとすれば行き当たる場所ですね。地理的には松平郷よりよほど拓けている場所だと考えられます。(グーグル・マップでそれをみれば一目瞭然でしょう)
 親氏が『攻め取った』と言われる中山十七名は矢作川の支流にある在所であり、泰親が『攻め取った』といわれる岩津、岡崎は矢作川沿いの在所です。すなわち、彼らに関わる土地は全て川で繋がっているということです。これは、松平家もまた、川のネットワークに関わる一族である証拠のような気がします。

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