« 川戦:源姓松平編①プロローグ | トップページ | 川戦:源姓松平編③松平親氏 »

2007年11月22日 (木)

川戦:源姓松平編②一向宗そして時宗

 松平家初代の松平親氏が三河国に流れてきた頃、彼は徳阿弥と号する時宗僧だったといいます。 時宗も大きな括りでいえば、蓮如が奉じた浄土真宗と同じ阿弥陀信仰の一派です。

 とは言うものの、言葉の使い方は非常に難しいのです。時宗もしくは、浄土真宗本願寺教団を指すときに『一向宗』という言葉が使われることがあるのですが。本来の一向宗というのは、時宗でも、浄土真宗本願寺教団でもない、『一向宗』という一派があるそうなのです。時宗僧である徳阿弥の行いを語る前に、この一向宗という言葉の定義をきちんとして置きたいと思います。

この用語の使い方については、色々物議がかもされました。それも蓮如が活躍していた時代から、江戸時代、そして明治から戦後にかけて連綿とした歴史です。その経緯は非常にややこしいのですけど、ここでは戦国時代における用法のエッセンスだけ、触れて置きます。

 鎌倉末期に一向という浄土宗の僧がいました。彼は新たな宗派、一向宗を開きました。一向宗は基本的には浄土宗の分派ということになりますが、踊念仏を取り入れた為、一遍の時宗と混同されますが、別物だそうです。教えの流れからいえば、一遍の時宗も一向の一向宗も浄土宗の影響をうけつつも、別個に発生したもので、念仏に重きをおいた時宗と必ずしもそうではなかった一向宗という傾向の違いはあったようです。一向宗の教義色は浄土宗や、一遍の時宗よりは弱かった。結果として、一遍の時宗や親鸞の浄土真宗の教義を取り入れながら、教勢を東北・北関東・尾張・近江に伸ばしていたそうです。頃は鎌倉・室町。新仏教が布教範囲を貴族・武士から一般庶民へとターゲットを広げ、鎬を削っている時代です。
 うかうかしていると、他の宗派に教団ごとひっさらわれかねません。その最右翼が蓮如率いる浄土真宗本願寺教団でした。蓮如は近江の一向宗宗徒をターゲットに布教活動を繰り広げました。一向宗も半端に親鸞の教えを取り入れたところが災いしたのかもしれません。なぜなら、蓮如は親鸞の血脈の正統後継者とされていたのですから。本願寺教団は高田専修寺派だけではなく、一向宗の諸寺も転向させ、傘下にいれたわけです。
 蓮如は良くも悪くもパワフルに教勢を拡大してきました。そのリアクションも大きかったのです。それが、金森合戦であり、加賀の一揆でした。その都度門徒衆は団結し、弾圧者と戦ったわけですが、この戦いに参加した門徒達の多くが元一向宗の宗徒だったりしたわけです。教団外の人々は過去の経緯から、この団結した人々の事を一向衆と呼ぶようになりました。本願寺教団が参加した兵乱を一向一揆とよばれるのはこのためです。

 また、そう呼ばれる門徒達にも問題がありました。一向宗と浄土真宗本願寺教団の教義の違いを理解していなかったのです。これは、本来の一向宗の教義がこの頃にはまだ体系化していなかったせいもあるのかもしれません。けど、最も大きいのは一向宗が取り入れた親鸞の教えをきっかけとして自分の宗派に信者を導いた蓮如の自業自得というものもあったように思います。
 蓮如は本願寺教団の教主として門徒の教化に勤めました。御文と呼ばれる平易な文章で自らの教義を噛み砕いて教え説き、道場でそれを繰り返し読み上げさせることによって徹底をはかりましたが、なお不十分だったみたいです。門徒達は時に蓮如の思惑を超えて事態を悪い方向にもってゆくこともままありました。
 蓮如は御文の中で絶叫します。「一向宗はもともと一遍・一向の教えであり、本願寺の教義とは無関係である。それ故以後、自分たちの教団を一向宗と呼ぶ奴は破門する!」と。蓮如自身、時宗と一向宗の違いを理解してないくらい、このころは教義が混乱していたということでしょう。
 しかしながら、この蓮如の努力は身を結びませんでした。自らの教団のことを『浄土真宗』と呼ばせること自体、法然の教えを継ぐ浄土宗徒には我慢のならないことだったからです。そりゃそうですよね。真なる宗派と認めてしまっては、自分の宗派は偽物ということになってしまうのですから。
 蓮如でさえ間違えてしまうくらいなのですから、旧仏教や法華宗にとっては言わずもがなです。時宗にせよ、浄土真宗にせよ、一向宗にせよ仏陀ではない、阿弥陀如来を拝む信仰ですから一緒くたに一向宗と呼んでしまうのはやむを得ざる所なのでしょう。
 高田専修寺派の真慧も、蓮如と同類扱いされることが我慢できなくて、あんな『無碍光愚類(狂い)』と一緒にしないでくれと延暦寺に文句をつけたくらいですから、この誤解は根深いものであり、教義の違いをはっきりさせることは当時の彼らには困難極まる課題だったことは想像に難くありません。

 さて、教主クラスですらそうだったのですから、末端に至っては違いを把握するのは不可能にちかかったのかもしれません。本稿ではこういう観点で話を進めてみても、よいのではないかなと思ってます。松平一族の初代、親氏は徳阿弥と号する時宗僧でした。その徳阿弥に時宗の定義を尋ねてみるのも面白いかもしれません。

|

« 川戦:源姓松平編①プロローグ | トップページ | 川戦:源姓松平編③松平親氏 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/164985/17104444

この記事へのトラックバック一覧です: 川戦:源姓松平編②一向宗そして時宗:

« 川戦:源姓松平編①プロローグ | トップページ | 川戦:源姓松平編③松平親氏 »