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2007年12月11日 (火)

川戦:源姓松平編⑦松平郷松平家

 松平家の惣領は親氏、泰親、信光と三代続いたとされています。但し、この三者の関係については色々異説があって決定的な確証のある説はありません。三人を祖父、父、息子と直系の三代につなぐ説もあれば、親氏と泰親は兄弟という説もあります。ただし、その場合に信光は親氏の息子ということになります。泰親の子供という説はありません。なぜなら泰親が松平の一代目ということになってしまうからです。このことは何を意味するでしょう。それは、徳阿弥という時宗僧が加茂氏松平の婿養子になって源氏の松平氏を拓いたという話が、三河松平家にとって、後の徳川将軍家極めて重要なエピソードであるという証拠なのだと思います。

 三者の関係を考察する時、さらに話をややこしくしているのが、松平郷松平家の存在です。二代目の泰親は松平郷を出て、矢作川沿いの岩津という土地に移住します。この時に、松平信広に松平郷を継がせているのですね。彼は親氏もしくは、泰親の息子とされています。三代目の信光にとっては兄もしくは叔父にあたるのですが、一応嫡子ではなく、庶子の扱いになってます。
 ただ、松平郷は松平一族の本貫地です。そして、親氏、泰親が名乗った太郎左衛門を継ぎました。そこに庶子が入るのは少し不自然ですし、もう一人の庶子説のある酒井広親が松平姓にならない理由もぼやけてゆくような気がします。

 松平太郎左衛門信重―――女
 (松平郷)            ∥
                   +―――松平信光(岩津)
                   ∥
 徳河有親―――――+――松平太郎左衛門親氏(松平郷)
              |   ∥
              |   +―――松平太郎左衛門信広(松平郷)
              |   ∥
              |   女
              |
              +――松平太郎左衛門泰親(岩津)

 この図は、信広が親氏の息子であり、泰親が親氏の弟という説に基づいて作ったものです。これだと、どう考えても信広と松平信重は赤の他人ですね。加茂松平氏の信重が名乗っていた太郎左衛門は信重⇒親氏⇒泰親⇒信広と継いだことになってますが、信広に名乗らせる理由が極めて希薄です。親氏は松平郷で死んだことになってますから、信広が松平郷を継ぎ、太郎左衛門を名乗るためには、その時までに信重と信光の母親は死んでいないと彼らは納得しないでしょう。そこに顕れるのは親氏による加茂流松平家横領というあまり愉快じゃない想像です。

 松平太郎左衛門信重―――女
 (松平郷)            ∥
                   +―――太郎左衛門泰親(岩津)―――信光(岩津)
                   ∥
 徳河有親――――――――太郎左衛門親氏(松平郷)
                   ∥
                   +―――太郎左衛門信広(松平郷)
                   ∥
                   女

 この図は、信広が親氏の息子であり、同時に親氏⇒泰親⇒信光が直系の血縁である場合の図です。信広は庶流という伝に従い、泰親の異母兄弟というケースです。
 この図だと、信重の娘が息子に従って岩津に移り住んだと想定したら、納得はできそうですね。でも、泰親が名乗った太郎左衛門を信広が名乗るロジックを説明するのは苦しいです。そもそも、泰親が親氏と兄弟説がでるのは、三代目の信光の名前に『親』の字がなく、なおかつ松平信重の『信』の字が入っているせいですね。親から息子へ名前の一字を譲るのを偏忌といいます。親だけじゃなく、目上の主君とかそういうケースもありうるのですが、今はその可能性を除外して考えます。その場合、松平信重と直接の関係のない娘と親氏との子供に信重の偏忌である『信』の文字を用いる理由と、そして、松平一族の惣領を継いだはずの泰親の名に『信』の字がない理由。さらに、信光の名前に『信』の字が使われている理由が皆目わからなくなってしまいます。彼らがそんなものには拘らない性格だったというのならわかるのですが、信光の子の親忠以降の代はわりと忠実に子のルールに従っているところを見るとそれを知らなかったとも考えにくいのです。実は。

 松平信重―――女    女
           ∥    ∥
           ∥    +―――信広(松平郷)
           ∥    ∥
           +―――泰親(岩津)
           ∥    ∥
 徳河有親―――親氏   +――信光(岩津)
          (松平郷) ∥
                 女

 この考え方もわりと納得はゆくのですが、やはり泰親に『信』の字がない理由と、彼の子の代になって『信』の字が使われる理由がよくわからないのがしっくりこないです。

 松平太郎左衛門信重―――女  +―松平太郎左衛門信広(松平郷)
 (松平郷)            ∥  |
                   +―+―松平信光(岩津)
                   ∥
 徳河有親―――――+――松平太郎左衛門親氏(松平郷)
              |
              +――松平太郎左衛門泰親(岩津)

 以上の論点を総合して、信広は信光と同腹の兄であるということ。つまり、信光は傍流という結論に至ります。このケースにおいて、偏諱というルールを適用してみることが正しいのかどうかはわかりません。さりながら、偏諱のルールにあう状況があればそこから事情を推察することができます。松平信広と信光この二人が異母兄弟で信広の方が庶子ならば、両方の名前に信重の偏諱が与えられる理由がわからなくなるのですが、信広が信光の同腹の兄であれば、親氏と泰親は跡継ぎのない加茂流松平家のショートリリーフであったという性格づけがはっきりします。信広が松平郷を継いだことによって、信光は叔父に従って岩津に出てゆきます。そこで大きな飛躍を遂げることになるのですが、それは別稿で語りたいと思います。

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