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2008年1月31日 (木)

川戦:応仁乱編⑦土呂本宗寺

 応仁二年の蓮如の三河下向が上宮寺の佐々木如光のプロモートであったことは既に書きました。同じ事を何度も書くのも何なので、この稿では額田郡一揆に絡めたことを書いてゆこうと思います。

 松平信光は一揆討伐によって深溝周辺に進出するきっかけを得ました。その証左となるものが、松平信光の子供達が家祖となる、深溝松平氏、形原松平氏、竹谷松平氏、五井松平氏の諸家の誕生です。信光以前にはこれらの地に松平家の痕跡はありません。信光の代になってからの分家です。故に、額田郡一揆討伐において、信光の息子松平大炊介正則が大庭次郎左衛門を深溝に討ちとったことの意義は大きかったと評価できます。深溝は大庭一族の本拠地でした。
 大庭次郎左衛門とともに一揆方の将として戦った、丸山中務入道は岡崎から乙川を少し上ったところの大平郷というところで戸田宗光に討たれています。この大平郷からさらに少し川を上ると丸山という地があります。
丸山中務入道の本拠も丸山にありました。これらは何を意味するかを考えて見ます。岩津の松平氏と上野(現在の豊田市上郷町)の戸田氏が一揆鎮圧側に回ったことを知った一揆勢は自らの本拠に戻ったということでしょう。そして、そこで首謀者は狩り出されるように討たれました。その後に松平の一族が大庭氏の深溝に入ったということはある程度の武力を背景とした掃討があったと推察されます。

 蜷川親元の日記の記述の中に、一揆衆に加わった者として黒柳という名があります。黒柳の一族は土呂を根拠地としていたそうです。応仁二年に三河に下向した蓮如は如光、石川政康らとはかり、土呂に本宗寺という寺をたて、ここを三河国における根本道場に指定するに至ります。ここに第九代留守職の実如が入り、その後に実如の子の実円が初代住持になります。もっとも、この時点の実如の留守職就任はこの前年の比叡山延暦寺との抗争の手打ちにおいて、蓮如の隠居と兄順如の廃嫡が強要されたためで、この頃の実如はわずか九歳の子供でした。実権は引き続き蓮如が握っていたわけです。本宗寺建立以前の黒柳一族の信仰が浄土真宗だったのかどうかは確認は取れておりませんが、その後黒柳一族は門徒衆として記録に名を残しています。蜷川親元の日記に叛徒として名が残っている以上、黒柳氏の根拠地である土呂の地もまた掃討が行われたことは想像に難くありません。そして、実如は蓮如の第二夫人、蓮祐の子であり伊勢氏の出身でした。土呂の地に本願寺派が有力寺院を建てた背景として額田郡一揆があったことはかなり濃厚なセンだと考えます。
 本願寺派の土呂進出の具体的な経緯はわかりません。松平・戸田氏によって掃討された跡地を蓮如-蓮祐-伊勢貞房(蓮祐の実家)-伊勢貞親のルートでもらいうけたのかもしれません。土呂進出の前年である1467年(応仁元年)に本願寺が延暦寺に屈服して和議が結ばれた折、上宮寺如光は多額の賠償金を蓮如に代わって払いました。それに対する報酬として蓮如は伊勢貞親を動かし土呂の地を得た、というのはありそうです。
 伊勢貞親は松平信光らに一揆討伐を命じた書を送っておりますが、同様に如光や石川政康らにも同様の命令がされていた可能性は否定できないと思えます。少なくとも如光が住持を務めた上宮寺のある佐々木や石川政康のいた小川も一揆の周辺地であり、騒乱が波及しないように何らかの手が打たれていたのは間違いのないところでしょう。寛政重修諸家譜に蓮如(ではなくおそらくは如光)が石川政康に語った言葉として以下のものがあります。

 三河は我が郷党なり。武士の大将として一方を指揮すべきものなし。願わくば三河国に来たりて我が門徒を進退すべしとなり。

 本願寺教団が石川一族に期待したのは武辺働きであることはこの記述で伺えます。もし、石川政康がこの言葉の通り、門徒を率いて武力行使をしたとすれば、この時をおいてはないでしょう。黒柳氏がいる土呂の地に進駐し、この地における本願寺教団の影響力行使を既成事実として認めさせたと考えるのもそう無理はないように思います。本宗寺の建立においては、土地は石川氏よりの寄進によるものとされておりますから。少なくとも応仁二年までにはこの地に石川氏の勢力が入り込んでいたことは間違いのないところでしょう。
 後年、家康の代になって起こった三河国一向一揆中、上和田合戦において、石川一族の石川新九郎親綱率いる土呂本宗寺の一揆勢が松平家康と水野信元の連合軍に討ち取られました。この記述は三河物語で語られる三河一揆の顛末のフィナーレとなっています。そして、本宗寺に立てこもった者達は一揆勢の主力であり、その中に黒柳一族の名前も入っているのですね。傍証としてはやや心もとないものの、現状可能性としては大いにありとしたい所です。

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