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2008年1月24日 (木)

川戦:応仁乱編⑤額田郡一揆Ⅰ

 1465年(寛正6年)、岡崎から少し北あたりの井口という在所に額田郡南部を地盤とする地侍・牢人たちが蜂起する事件が起きました。今川家の歴史を記した『今川記』に沿って経緯を説明します。彼らは砦を築き、東海道の物資輸送を寸断し、鎌倉公方足利成氏の命令と称して、年貢米を強奪しました。
これに対して三河国守護の細川成之は牧野出羽守と西郷六郎兵衛を差し向け、砦を攻略し、伊勢貞親の被官の戸田宗光と松平信光に一揆首謀者を討たせました。また、一揆勢の中には駿河まで逃げたところを今川義忠よって討たれた者もいたそうです。一連の事件は京都に報告され、叛徒たちの首は晒されたそうです。今川記に書かれているのは大体においてこんなところです。

 この事件は蜷川新右衛門尉親元という人物の日記にも記されています。親元は八代将軍足利義政の時代に政所執事を勤めた伊勢貞親に仕えておりました。執事代として、主人を補佐する立場にあり、日記を記しています。その文書を『親元日記』と言います。応仁の乱を前後して、当時の幕政のありさまを研究史料として歴史研究家に重宝されているそうです。このような幕閣中枢にいた人物の日録にあることから、この事件の存在は確かにあったものと思われます。ちなみに、ずっと昔のテレビアニメ一休さんで足利義満側近の『新右衛門さん』という若侍はこの人物の父親がモデルで、一休宗純との親交があったそうです。(もっともその親交はずっと後年のことであり、アニメは相当脚色された設定らしいのですけどね)
 親元日記には松平信光と戸田宗光が一揆鎮圧に参加した経緯についての記述があります。

 三河国守護の細川成之は牧野出羽守と西郷六郎兵衛を差し向け、砦を攻略したものの、今度は砦に拠らず、なお略奪と狼藉を繰り返しておりました。地元の土豪である松平信光の親族が匿っているらしく、埒が明かない状況になっていたようです。その近辺は将軍の直轄地であり、守護といえどもおいそれと手出しはできません。戸田と松平の背後には政所執事伊勢貞親がいました。戸田氏当主戸田宗光、松平氏当主松平信光は伊勢貞親の被官、平たく言うと主従関係の立場です。そこで守護の細川成之は伊勢貞親に相談し、松平信光と戸田宗光に命じて一揆首謀者を討たせる書状を書きました。

 その背景について考察してみます。
 今川記には、『地侍・牢人たちが鎌倉公方足利成氏の命令で蜂起した』と書かれているそうですが、親元日記にはそこまで踏み込んだ記述はありません。確かに京都の将軍と鎌倉公方は非常に仲が悪く、しばしば軍事衝突を起こしていました。ここで名前が出されている足利成氏は、永享の乱で足利将軍家に討たれた足利持氏の遺児です。成氏は一度潰された鎌倉公方の再興に生涯を捧げますが、関東管領や幕府が送り込んだ新たな鎌倉公方(堀越公方)との戦いにあけくれ、結局は決着がつかずじまいでした。
 この反乱が成氏の鎌倉公方再興活動の余波である可能性は捨てきれるものではありません。でも、三河国と足利成氏が拠点とした下総国古河はあまりにも離れ過ぎています。確かに蜂起した地侍・牢人たちは北関東の出自が多く、足利氏との関係もありますが、だからと言って主従関係があるとまでは認められません。関係性は希薄といっていいでしょう。事件の直ぐ後に応仁の乱が発生し、日本中が戦乱のカオスに叩き込まれますが、この事件そのものは幕府や守護が上手く処理して封じ込めたといっていいでしょう。逆に言うと、連動した動きはなく、この事件は単発な物にしか見えないということです。
 一揆側の行動にもあまり計画性が見られません。この一揆に参加した者達の名前として、丸山・大庭・高力・梁田・黒柳・片山・芦谷・尾尻などの名前が上がっています。彼らは額田郡南部、地図でいうところの額田郡幸田町周辺あたりを地盤とする地侍たちです。そのあたりには当時菱池(岩堰)と呼ばれる湖沼があり、彼らが川の民である可能性を探りました。でも、中には古くから土着している一族もいて地縁以外に彼らを結びつけるものを提示はできない状況です。
 反乱の発生から鎮圧まで、その経緯はあまりにも計画性がないと言わざるをえません。

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