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2008年2月19日 (火)

川戦:応仁乱編⑩松平信光の願文

 寺伝は寺の成り立ちを書いたもので、大抵の名刹と呼ばれる寺にあるものですが、史料としての精度は決して高いものではなく、そのまま信じると他の史料との間に色々矛盾を抱えることになることもしばしばです。とは言うものの、色々と興味深く、示唆に富んだ史料もあったりして扱いにはいつも悩まされるところです。

 松平信光が松平一族の活動として、先代の泰親に引き続いて行ったのは寺社の創建でした。親氏は時宗僧だったし、泰親も用金という僧号を持つ入道でした(但し、宗旨はよくわかりません)。
 信光が建てたのは三つの寺院です。1440年(永享十二年)に建てた萬松寺(臨済宗)、1451年(宝徳 三年)の信光明寺(浄土宗)、1461年(寛正 二年)妙心寺(浄土宗)創建。
 萬松寺が禅宗という所が気になりますが、おそらくはこの頃に松平信光は被官化したのではないかと推測しています。永享十二年は一色義貫が足利義教に謀殺された年です。謀殺に絡む室町殿の青写真として、三河を自分の息のかかった勢力で固めたいという意向があったとしたら、頷けなくはありません。松平信光としても家格が上がったことを示す手段として禅寺を建てたと考えることができると思います。そもそも禅寺というのは武家の、それも身分のある大身が建てるものが相場です。但し、松平信光が浄土宗に宗旨替えしているところ、そして信光明寺と妙心寺には勅願寺にしたことに対して、萬松寺に対しては奏しているところを見るに、ある時期を境に禅宗との縁が離れたということなのかもしれません。

 信光明寺は信光が浄土宗の釈誉存冏に帰依して建てた寺で、三河における浄土宗鎮西派白旗流弘経寺系進出の端緒となったと言われています。
 妙心寺も同じ浄土宗の寺ではありますが、系統の異なる西山深草派の円覚寺で学んだ教然良頓(信光の息子)を開山とした寺です。浄土宗の諸派については別項で詳しく述べますが、松平信光は仏心はあるものの宗旨や教義の差異にあまりこだわらない人物であったように思われます。

 松平信光は自ら創建した浄土宗寺の信光明寺と妙心寺にそれぞれ願文を出しています。内容は平和祈願と子孫繁栄という常識的なものでした。その文言の中に源氏の繁栄を願ったものがあり、事実なら徳川家源氏発祥説の根拠になるはずのものでした。その点は論争の種になったりしてます。どうも、この史料そのものの信憑性に疑いありということにはなっております。
 そういう史料ではありますが、記述に気になる点があります。
 一つは1481年(文明十三年)に妙心寺に奉納された願文です。安置された仏像の胎内に保管されていたものですが、この願文の文面に『子孫代々浄土の真宗に帰依させます。』という文言があるのです。妙心寺は浄土宗の寺で、信光はここを勅願寺にまでしているのですが、胎蔵させた願文に異なる宗派の名前を書くだろうかと思うと少し不思議な感じがします。
 むろん、この『浄土の真宗』を法然の浄土宗と解釈することは可能です。法然の法統を継ぐ者にとっては、親鸞の分派が真宗を名乗ること自体が不快であり、わが宗門(浄土宗)こそ真宗なりという思いもあったでしょう。しかし、1486年(文明十八年)信光明寺への願文には自らの宗旨のことを『浄土の真宗』ではなく、『浄土の宗門』と呼んでいるのは、統一感を欠くように思えます。またこの願文の中で、一族の者は浄土宗に帰依するように申し渡したと十三年の願文に書いたことと同じ事を念押ししているのですね。そして、その浄土宗も西山深草派と鎮西派の二系統をまたぐことになっているのに『浄土の宗門』というどちらにも取れる曖昧な書き方になっているのですね。

 ここで仮定を持ち出すことをお許しください。妙心寺本尊胎蔵の願文は後世の創作ではなく正しいものであり、松平信光が浄土真宗、つまり本願寺教団にも心をよせていたという可能性です。
 蓮如の長男順如は代々のしきたりによって日野裏松家の勝光の猶子となりました。その日野裏松家は松平益親を被官にしています。蓮如の第一夫人と第二夫人は伊勢貞房の娘です。貞房の属する伊勢氏の長は伊勢貞親という政所執事であり、松平信光と戸田宗光を被官としていました。松平信光は戸田宗光の舅に当たります。そして、応仁乱期における松平家、戸田家の躍進は矢作川及びその周辺の川筋に沿ったものです。特に戸田宗光の渥美郡進出には船の存在なくしてはありえないと思います。その船をふんだんに持っていたのは琵琶湖の湖族を背景とした本願寺教団です。戸田・松平が独自に船を集めたとしてその調達先はどこなのかを考えれば、本願寺教団が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
 本尊胎蔵の願文は通常公開する文書ではありません。門徒衆の有力者を妙心寺に招き、胎蔵願文を読ませれば、門徒衆は信光に心を寄せるようになる。そんな使われ方をしたのかもしれません。(このあたりは妄想の域にあるのは承知しております。)
 信光の信心の向かう先は、禅宗、浄土宗鎮西派、浄土宗西山深草派、それからひょっとしたら本願寺教団とさまざまブレがあるように見受けられます。このあたりを整理すると面白いミステリーが成り立つような気が致します。

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