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2008年4月 1日 (火)

川戦:山科編①蓮如を継ぐ者

 前回にて『将軍寺』編は一段落とし、今回から山科本願寺編と題して川の戦国史を続けます。

 本編では蓮如死後の本願寺教団の動きを見てゆきたいと思います。応仁の乱以後、天下は麻の如く乱れまくります。教科書なんかでは応仁の乱から織田信長の登場まで一気にすっとばすのですが、ここではきちんと追ゆく、というのが本編の趣旨です。但し、この時代の流れは実に複雑かつ脆いものです。誰かが実権を握ったと思えばあっという間に別の誰かに奪われる。はっきり言って一つの流れにまとめて記述するのは私にはムリです。
 そこで本稿では実如と蓮淳という二人の僧を中心に見てまいります。実如は蓮如の後を継いで第九代留守職になった人物です。そして、蓮淳は実如の弟で、実如と実如の後継である証如の補佐役を務めた人物です。
 ある意味蓮如の布教は上手く行過ぎていました。それだけに、周囲の風当たりも強く、様々な軋轢が各地にばら撒かれております。そんな中で二人の指導者の前に引き継がれたのは、山科本願寺を中心とするあまりにも巨大な教団でした。蓮如の後を継ぐ者として彼らが選んだ道は、下克上のプレイヤーとして戦国大名そのものになるきること。教団を徹底的に組織化して一揆衆の暴走を防ぐことでした。それと引き替えに何を得て何を失ったのかを描き出せればいいな、と思っております。

1474年(文明 六年)越前国吉崎の一向一揆勢、富樫政親に加勢。富樫幸千代を倒す。
1483年(文明十五年)山科本願寺の落成。
1488年(長享 二年)富樫政親、加賀の一向一揆勢に討たれる。
1499年(明応 八年)蓮如、山科にて入滅。
1505年(永正 二年)畠山・朝倉氏、反細川政元で挙兵。実如、細川政元に味方する。
          石山御坊にいる蓮如の妻の蓮能、実賢を立てて実如排斥運動をする。
1506年(永正 三年)大阪一乱。実如、蓮能・実賢らを追放。
          吉崎御坊、朝倉氏により破却。廃坊となる。
1507年(永正 四年)細川政元暗殺される。実如、近江国堅田本福寺に避難。
1518年(永正十五年)実如、本覚寺蓮恵、本福寺明宗を破門。
1521年(永正十八年)本願寺法嗣円如(実如の子)死去。円如の子、証如が法嗣になる。
1523年(大永 三年)教行寺蓮芸、称徳寺実賢(蓮能の子)死去。
1525年(大永 五年)実如死去。顕証寺の蓮淳が証如の後見をする。
1527年(大永 七年)蓮淳、本福寺明宗に対して二度目の破門。信者の引き抜き争いによる。
          細川晴元、細川高国に対して蜂起。本願寺、晴元に加勢する。
          超勝寺実顕と下間頼秀、北陸の細川高国派荘園を占拠。
1531年(享禄 四年) 5月 高国派荘園の利害に絡み、北陸三ヶ寺、超勝寺実顕の討伐令を出す。
           6月 本願寺法主証如、北陸三ヶ寺の討伐令を出す。(大小一揆)
           9月 手取川合戦。北陸三ヶ寺+朝倉宗滴連合軍、本願寺勢を破る。
          11月 津幡の戦い。北陸三ヶ寺陥落。
1532年(天文 元年)蓮淳、本福寺明宗に対して三度目の破門。
                     6月 本願寺、畠山義堯と三好元長を討ち、堺公方足利義維を四国に追放。
             一向一揆、奈良侵入。興福寺等を破却。
            (後に奈良永代禁制を受入る破目になる)
           8月 法華一揆+六角連合軍、京都諸寺院並びに山科本願寺を破却。
             証如、石山本願寺に篭城。富田教行寺陥落。石山本願寺包囲される。
1536年(天文 四年)石山本願寺、細川晴元の軍門に降る。
1540年(天文 九年)本福寺明宗、72歳で餓死。本福寺、称徳寺(慈敬寺)の末寺になる。
1546年(天文十五年) 加賀国尾山御坊建立
1550年(天文十九年)蓮淳死去。
1554年(天文二十三年)証如死去

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