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2008年6月 5日 (木)

押籠編⑧『尾三連合』の行く末

 永正年間に三河国に侵入した今川氏親。その侵攻に対抗するために一つの連合体のようなものが存在していました。『尾三連合』と思いつきで名づけましたが、どの歴史書にも載ってませんから悪しからず。それは、尾張国守護斯波義達と西条吉良義信とその孫義堯を中心とした勢力です。そして、吉良義信は足利義材とも近しい関係にありました。
 遠江国を今川氏に奪われた斯波義達は三河の吉良義信の支援を受けて、自ら軍を率いて攻め込みました。現在の浜松にあたる引馬を領していたのは吉良氏被官の大河内貞綱です。その奪回は吉良氏にとっても斯波氏にとっても重要な課題でした。吉良氏は三河国における立場を固めるために、被官衆に婚姻政策をすすめます。安祥松平家にもその誘いの手がきました。松平家は今川氏に岩津家を攻撃され、大樹寺は破壊されて大きな被害を受けておりました。その再建と復興のために吉良氏の助力は欲しかった所でしょう。松平信忠は大河内貞綱の一族の娘を娶りました。そして、信忠の妹を吉良家の家臣富永氏に嫁がせております。おそらく、その見返りとして後方支援を担ったのかもしれません。もしくは、最前線で戦ったかもしれませんが、その活躍は記録に残っておりません。ただ、信忠の声望の低下は、この『尾三連合』が今川氏親に敗れた後におこっておりますから、その可能性がないわけではありません。
 そうした苦労を尾張国の斯波氏は汲んだようです。松平信忠の弟、桜井松平信定に那古屋に程近い守山に領地を与えました。その事は連歌師である宗長が記した『宗長日記』の大永六年三月二十七日条に尾張国守山にある松平与一信定の館で千句の興行があったことが記されているのでわかります。
 そして、桜井信定には織田信定の娘を娶らせました。尾張の織田家には幾つか系統があるのですが、この織田信定は弾正忠家、織田信長の祖父に当たる人物です。これを視野に入れるなら、桜井松平信定を安祥家の後継に推した人々のスタンスがわかると思います。即ち、『尾三同盟』のてこ入れを行い、安祥松平家を尾張国の利益の代弁者としたい勢力です。但し、この時の斯波家は当主義達が今川氏親の捕虜となり、侘びを入れて尾張に還されておりました。目付けとして那古屋に今川氏豊が送り込まれております。斯波家は衰亡の道を走っておりましたが、尾張国を織田家が乗っ取るのはもう少し先の話になります。よって、桜井信定を推す勢力がその意図を貫徹できなかったとしてもそれはやむを得ないことだったかもしれません。

 戸田憲光が唱えた伊勢宗瑞を中心とした『三河国人連合』は今川家の撤退によって霧散しました。目的を見失った連合体は消え去ってしまうのが宿命です。それに対するアンチ・テーゼとして、打倒今川を旗印に『尾三連合』は結成されました。しかし、その当初の目的が果たせないことが誰の目にも明らかになった時、新たな枠組みが必要になってきます。
 松平信忠の退場をその文脈でみるならば、松平清康の登場と限界はおのずと明らかになってくるのではないかと思います。

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