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2008年7月 3日 (木)

川戦:英雄編④吉良さんちの家庭の事情

 今回は松平清康が1529年(享禄二年)に行ったとされる小島城攻めについて語りたいと思います。小島城は尾島城ともいい、矢作川が矢作古川との分岐点の矢作故川の東岸辺りにあります。ニ方向を矢作川と矢作古川に囲まれた土地で、矢作川の対岸には本証寺のある野寺が、矢作古川の対岸には東条吉良家の一族である、荒川義広の荒川城があります。小島城は東条吉良家に属する城砦でした。
 以下、その吉良家について説明させていただきます。

(東条)吉良義藤―――持清―+―持広―+―吉次(西尾氏)
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                   +―義広 +=義安
                     (荒川)

(西条)吉良義真―――義信―――義元―――義堯―+――義郷
                                 |
                                 +――義安(東条吉良・統合吉良二代)
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                                 +――義昭(統合吉良初代)

 応仁の乱で吉良家は二家に分かれて戦っておりました。東軍についた西条吉良家と西軍についた東条吉良家です(ああややこしい)。永正年間の今川勢侵攻後に大河内貞綱らが遠江で奪還戦を繰り広げておりましたが、彼の主家は西条吉良家です。足利義信は足利義材(義植)と仲がよく、斯波義達と大河内貞綱の遠江奪還戦に京都からの介入が入らないようにサポートしていたと思われます。
西条義信は1516年(永正十三年)に孫の義堯に家督を譲ります。子の義元は早世したらしいです。しかし間もなく斯波と大河内は完全敗北し、さらに悪いことに足利義材も1521年(大永元年)に二度目の都落ちをします。
 京のパイプと遠江の吉良氏の地盤を失ったこともあり、京が本来の居住地であった西条吉良義堯は在国することに決めます。
 吉良義藤は東軍につき、吉良義真と戦いましたが、互いに止めを刺しあうことは無く、東条吉良家は持広の代に至ります。持広の代においては、東条吉良家は荒川家という別家を分出しておりました。初代当主の荒川義広は持広の弟です。
 西条吉良義堯は帰国後、在地領主として支配できる体制を指向しましたが、実力行使をする手駒が足りません。そこで松平清康に応援を要請します。もっとも、松平清康の小島攻めに吉良義堯の要請があったかどうかは、『尾三連合』と同じく、あくまで私の推測に過ぎません。

 それによって実現したのが1529年(享禄二年)の松平清康による小島城を攻めです。小島城は尾島城ともいい、東条吉良家分家である荒川義広配下の城でした。荒川義広はここに鷹部屋鉾之助というまるで講談にでも出てきそうな名前の城主を置いて、守らせておりましたが、その小島城を松平勢が攻めたわけです。
 小島は本証寺のある野寺を南に下って矢作川の対岸にあります。鷹部屋鉾之助は敗れて古矢作川を泳いで渡って対岸の荒川城に逃げましたが、結局鷹部屋鉾之助の主人、荒川義広は降伏し松平清康に従うことになったといいます。但し、吉良家と松平家との間は家格に雲泥の差があります。屈服をし、領地の支配権の幾分かの譲渡はしても臣従までしたとは思えず、松平家としてのメリットは薄かったのではないでしょうか。
 むしろ、小島と荒川は矢作古川の河口にあたり、河川運送業を営む人々にとっては重要な拠点だったと思われます。松平清康のバックにいる、家臣団にとってはそこを押さえることが重要であったと思われます。
 東条吉良家にとっては既得権益を侵されたわけで、弱体化に繋がってゆきます。そこを衝いて来たのは、松平家でも、その家臣団や河川運送業者でもありませんでした。西条吉良氏です。私自身はこの戦争を東条吉良家と西条吉良家の抗争の一つであり、西条吉良家の要請(少なくとも了承)のもとで、『尾三同盟』の一翼を担う松平勢が攻めたのだととらえております。

 少し先の話になりますが、松平清康が守山で不慮の死を遂げた時、東条吉良家と西条吉良家は和解をします。奇妙なことに東条吉良持広には長子がいます。弟の荒川義広もいました。にもかかわらず、西条吉良家の義安が東条吉良家の養子入りしたのです。そして、持広の長子は織田家へ人質に差し出されます。この人質が長じて西尾吉次(義次)と名乗り、織田信長に仕え、後に徳川家康に仕えることになりますが、これはまた別の話。これは西条吉良義堯による東条吉良家乗っ取りでありましょう。

 但し、この状況が長くは続かなかったこと、そしてこの戦いで東条吉良家と松平家にもチャンネルが開かれたことによって、松平家の危機が救われたというオマケがつきます。

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