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2008年12月30日 (火)

川戦:風雲編⑥織田信秀の肖像Ⅲ

 本願寺の生き残りはおそらくは織田信秀にとって計算外のことだったと思われます。本願寺がなくなるもしくは、その力が大きく削がれるのならば、三河の門徒衆の団結は相当弱められます。そこに桜井信定が入り込む余地が生じます。しかし、現実には地元の善興寺の統制を織田大和守達勝が石山本願寺に依頼するなど、本願寺は実効力を伴った統制の根源として存在していました。
 私の『説』においては大窪忠俊も、阿部定吉も門徒衆ということになっております。石山本願寺と細川晴元との関係修復はなり、今川義元も名前の『義』の地を足利義晴からもらいうけるという形で、本願寺と幕府と今川家の連携が成立したのです。織田信秀は手詰まりでした。

 織田信秀は救援する手立てもなく、岡崎城に仙千代は帰ってきました。一門衆の合歓木松平信孝まで巻き込んだ家臣団一揆によるものです。信定はこれと戦わず、道閲(長親)の仲介で帰順します。幕府は今川義元を支持し、その義元の庇護を受けた仙千代です。門徒家臣達も信定を支持しない背景には、本山の石山本願寺の意向もあったでしょう。西条吉良家も東三河国人衆と松平家は親今川家に靡いてしまい、戦闘力を失っております。ここに事実上『尾三連合』は解体されてしまいました。
 そしてその翌年桜井松平信定は死にます。失意の死といっていいかもしれません。信秀は妹嫁と三河国に対する足掛かりを喪うことになります。
 また、今川義元は今は後北条家との戦いに明け暮れていますが、幕府の後ろ盾をもった存在です。それに対して期待をかけた斯波家の血をひく足利義維も阿波に去ってしまって既にいません。
 このまま失意に流されて自滅するパターンもありうるのですが、織田信秀は諦めません。まず、那古屋の今川氏豊から那古屋城を奪い取ります。反今川の旗幟を鮮明にしたという所でしょう。この時、氏豊は命乞いして助命されたといいます。駿河に帰らず京都に移り住んだといいますが、その辺の事情はよくわかりません。斯波氏の没落によって遠江支配は確定し、その役目は終わったということなのかもしれません。那古屋城は嫡男吉法師に与えました。そこに林、平手、青山、内藤の乙名衆四名をつけ、自らは古渡に城を立ててそこに住みました。
 津島の財力を集めつつ、那古屋や清洲に近い場所に拠点を移したわけです。古渡のすぐ南には熱田神宮があります。熱田は津田より東にあり、同じく海に面した港です。一応長島願証寺から離れるという形になっております。
 そこまでやっても信秀としては攻めに転じるきっかけが欲しかった。凋落しているとは言え、幕府の威光は本願寺を屈服させられる程度には健在です。それをバックに今川氏と対抗するためには、起死回生の大博打を打つ必要がありました。
 次項でそれについて触れてゆきたいと思います。

1510年(永正 七年) 織田信秀、海東郡勝幡城主・織田信定の長男として生まれる。
1513年(永正 十年) 尾張下四郡守護代の織田達定、主君の尾張守護斯波義達と争い、殺害される。
           尾張下四郡守護代家は織田達勝が継ぐ。
1515年(永正十二年) 斯波義達、今川軍と遠江で戦い捕虜となり、剃髪の上尾張に帰還。
1521年(大永 元年) 斯波義達、死去。斯波義統が家督相続。
1526年(大永 六年) 桜井松平信定、この頃までに守山を領有
           八月 今川氏親没。氏輝が家督相続
1527年(大永 七年) 織田信秀、家督を譲られて織田弾正忠家当主となる。
1530年(享禄 三年) 織田達勝、守護の斯波氏の代理として兵を率い上洛。
1532年(天文 元年) 織田信秀、尾張下四郡守護代家は織田達勝と争う。のち和睦。
1533年(天文 二年) 山科言継と飛鳥井雅綱が勝幡城で織田信秀らに蹴鞠指導。今川氏豊も出席。
1535年(天文 四年) 織田信秀、守山崩れに乗じ、井田野で松平広忠と戦う?
1538年(天文 七年) 織田信秀、今川氏豊を那古野城から追う。
1539年(天文 八年) 織田信秀、古渡城に移る。
1541年(天文 十年) 織田信秀、三河守に任官?
1544年(天文十三年) 織田信秀、道三の居城・稲葉山城を攻撃したが、敗退。(加納口の戦い)。
           織田信秀、斉藤道三の大垣城を攻囲するが、織田彦五郎に古渡城を焼かれる。
1545年(天文十四年) 織田信秀、守護代と和睦。末森城を築き、居城を移す。
1547年(天文十六年) 織田信秀、安祥城を奪取。
1548年(天文十七年) 小豆坂合戦。
1549年(天文十八年) 織田信秀、子の信長と斎藤道三の娘・濃姫を政略結婚させる。

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