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2008年12月 4日 (木)

川戦:下克上編⑩松平信孝放逐

 この家臣団優位の体制にあって、利を得ていた一門の者がいました。合歓木松平家の信孝です。彼は広忠の叔父、すなわち清康の弟で、合歓木郷を領しておりました。彼は仙千代放逐後、主人のいなくなった岡崎城の城番を努めました。松平一門の総帥が安祥家嫡流から桜井家に遷ることを快く思っていなかったのでしょう。大窪新八郎忠俊始め、安祥家家臣達の説得に応じ、岡崎城を故意に留守にしてクーデターを起こすきっかけを作ってやります。いわば広忠の岡崎復帰の功労者の一人でした。そういう事情もあって、広忠はこの叔父を大事に思ったことだと思われます。対する信孝も自ら進んで広忠と争うことはせず、むしろ桜井松平信定や青野松平義春亡き後の広忠の後見人としてこれを支えます。その過程で岩津松平家の継嗣が絶え、その旧領を信孝が継承したと、松平記には書かれています。その後、1542年(天文十一年)信孝の弟である三木松平康孝が没します。生年は不詳ですが、もう一人の兄である清康の生年から類推するに、二十代後半くらいの若死にだったようです。彼は三木(みつぎ)を領しておりましたが、この所領も信孝が引き取り、ここを自らの拠点としました。これによって、松平宗家である安祥家よりも規模的に大きい分家が誕生します。しかも、彼はかつて松平清康に対する桜井松平信定と同じ宗家の後見人の立場にありました。
 また、この前年の1541年(天文十年)、松平広忠は於大との間に嫡男竹千代を設けています。松平家家臣達の脳裏に一つの不安がよぎります。もし、竹千代が成人する前に広忠が死んだならどうなるのかと。桜井松平信定がそうしたように、今度は合歓木松平信孝が岡崎城を乗っ取り、竹千代を放逐することにはなりはしないかと。家臣達は自分たちの懸念を広忠に吹き込んだものと思われます。この年、松平広忠は十八歳です。子供はかわいいだろうし、自らの苦難の記憶もまだ冷めてはいないでしょう。それと自分の子をそれと同じ目に遭わせたいと思う親はいないでしょう。

 松平広忠は家臣の言を入れ、1543年(天文十二年)正月に今川家への使いに信孝をやり、そしてその留守の間に信孝の領地に攻め込み、代官を置いて直轄化しました。まぁ、信孝に不正があったと仮定しても、非道な行動です。信孝はこの非道を今川義元に訴えます。今川義元も和談の仲介に乗り出しますが、安祥松平家も本多忠高、酒井正親、石川清兼、阿部定吉、植村氏明と重臣衆を次々送り込み、信孝の非を訴え介入を拒否します。結果、今川家は仲介しないこととなりました。
 もし、今川義元に成敗権があるならば、和議は強引に推し進められたか、信孝か安祥家家臣達のどちらかが罰せられたでしょう。1542年(天文十一年)に小豆坂合戦があったなら、そこには駿河衆がいたはずであり、不満分子を野に放つとも思えないのですね。それは桶狭間合戦の直前に行った鳴海城主の山口教継に対する躊躇ない処断を見れば相当な違いがあると判るでしょう。

 放逐された信孝はそれでも旧領で挙兵を試みますが、自らに付けられた家臣達は先手を売って広忠の元に帰参しておりました。大窪忠俊の弟である忠員、忠久も帰参組でした。信孝はこれを恨んで大窪家領を襲いますが、先手をとって大窪家では妻子を勝鬘寺に匿ってもらったとあります。勝鬘寺は本願寺教団の拠点である三河三箇寺の一つで、この時領主も入れない不入の権を得ておりました。寛正の頃ならいざ知らず、既に室町幕府にはその不入権を担保する能力は現実にはないのですが、それでも信孝の攻勢を避けえたというのは、勝鬘寺自体がそれだけの実力を備えていたということでしょう。
 もっとも、信孝が大窪家の領地を襲ったのは、これは安祥城落城後のことかもしれません。大窪家の妻子が勝鬘寺に籠ったのは三河物語によれば一、二年のこととなっております。
 天文九年安祥落城説が正しければ、信孝放逐後、大窪家の根拠地である上和田は松平一門の一人(どこの系統の松平氏からわかりませんが、佐々木を根拠地にしていたようです)松平忠倫が織田信秀の命令で砦を作っています。この松平忠倫が広忠勢に打倒されるのが1547年(天文十六年)。合歓木松平信孝が戦死するのが1548年(天文十七年)になります。1543年(天文十二年)に大窪家の妻子が避難を始めたとするならば、上和田から避難の元凶がとりのぞかれるのは五年後ということになります。信孝が蜂起し、忠倫が上和田に砦を作るのが1547年(天文十六年)とすれば、この一、二年という数字は丁度当てはまることになります。
 天文十二年から天文十六年の四年間、松平信孝はかつての仙千代と同じように流亡の運命に直面していたのではないか。そんな風に考えております。

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