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2008年12月14日 (日)

川戦:風雲編①プロローグ

 実は当初、前稿の下克上編は風雲編と題して1538年(天文七年)から1546年(天文十五年)までの西三河における主要な出来事をまとめて記すつもりでした。その前提として安祥合戦と小豆坂合戦の年次を後年であることを示す必要がありました。そこで最初にみえるものは、松平家臣達が一門衆に対して手にした優位と、幼君推戴の体質です。そのあたりを書き進めるに当たって、紙幅が足りなくなり、戦国の風雲児である織田信秀について触れるスペースがなくなってしまいました。私自身が評価するに、信秀は信長の雛形、プロトタイプと言っていい資質をもっております。両者の違いはスタート地点が尾張国守護代の奉行であるところか、尾張国第一の実力者の正嫡であるかの所にあるのではないかと思っています。前稿を風雲編とつけようとした意図は、そんな織田信秀の生涯を追いかけることにありました。
 ともあれ、前編は色々盛り込みすぎたので、織田信秀の部分は大幅にカットし、下克上編と改題しております。そして本編につきましては風雲編と題し、織田信秀を中心に松平広忠帰還後の三河国周辺の諸事情を描いてゆきたいと思います。

1534年(天文 三年)  五月  十二日 織田吉法師(信長)、生誕。
1537年(天文 六年)  二月   六日 木下日吉丸(豊臣秀吉)、生誕。
1538年(天文 七年)十一月二十七日 松平信定、没。
                この年     織田信秀、今川氏豊の那古屋城奪取。
1539年(天文 八年)      この年          東条吉良持広、死去。義安が家督を相続。
                この年     東条吉良吉次、織田家の人質になる。
                      この年     織田信秀、古渡城に移る。
1541年(天文 十年)               水野忠政娘お大、松平広忠に嫁す。
1542年(天文十一年)十二月二十六日 松平竹千代(徳川家康)、生誕。
1543年(天文十二年)  七月  十二日 水野忠政、没。
               八月二十七日 松平信孝、追放。三木城が没収される。
1544年(天文十三年)  八月二十二日 松平長親、死去。
               九月二十二日 織田信秀、美濃国井口城を攻め大惨敗を喫す。
              この月          松平広忠、お大を離縁。
              十一月       織田信秀、美濃大垣を攻囲する。
                         織田信秀、織田彦五郎が古渡城を焼いた為、大垣撤退。
1545年(天文十四年)            織田信秀、守護代と和睦。末森城を築き、居城を移す。
1546年(天文十五年) 十一月 十五日 松平広忠、今川義元の命により、吉田城攻めに参陣。

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