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2009年1月27日 (火)

川戦:崩壊編①プロローグ

 長々と続けてまいりました、『川の戦国史』の記事ですが、本編にて一端区切りをつけるつもりです。本編で取り扱う年代は1547年(天文十六年)から1549年(天文十八年)の三年間です。この期間に松平家と三河国は完全に今川家に併呑されます。文字通りの『崩壊』を描く予定です。少しはみ出して永禄年間まで飛ぶこともありますが、一応1549年(天文十八年)の松平広忠の死でしめくくりをしたいと思います。
 とはいえ戦国時代が終わったわけではなく、むしろここからが佳境です。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑をはじめ、キラ星のような戦国大名たちが鎬を削る時代がこのすぐ後に待ち構えているのですから。このあたりの話は歴史小説、テレビドラマなどでお馴染みな時代です。そこで何があったのかについては、私よりよく知っている方は掃いて捨てるほどいるでしょう。とはいうものの、ここまで戦国時代の前半部を自分なりの視点で描いてきた手前、そういう人々が語る戦国史とは一味違った三傑の物語が作れるのではないか、という自負らしきものは芽生えておりますし、構想も脳内にあります。ただ、種々の史料と整合するのは大変なことです。この時代を扱って、まともな読み物として通用させるには私はあまりに不勉強です。ここをもって一区切りさせるというのはそういう意図をもっております。

 三河物語は上中下の三巻にて構成されております。三河物語が松平広忠の死をもって上巻の終わりとしていることに従って、私の川の戦国史も1547年(天文十八年)で一度筆を置かせていただこうと思います。とはいってもあと十本くらい書き続けるつもりですのでお付き合いいただければ幸いです。

1547年(天文十六年) 六月   六日 織田信秀、三河国安祥城を奪取。
                        松平忠倫、酒井忠尚らが松平広忠から離反。
              八月   二日 松平竹千代、人質として駿河護送中に尾張国に拉致される。
              九月   五日 今川義元、田原城攻略。田原戸田氏滅亡。
                 二十八日 渡河原の戦闘。松平信孝、広忠を破る。
                        松平広忠、この日までに松平忠倫を暗殺。
1548年(天文十七年) 三月  十九日 小豆坂合戦
              四月  十五日 耳取縄手の戦い。松平信孝、戦死。
1549年(天文十八年) 三月   六日 松平広忠、暗殺される。
              この年      阿部定吉、没
                        東条吉良義安、今川家の捕虜として駿府送り。
                        今川義元の意向により、吉良家は義昭によって統一。
                        三好長慶、細川晴元と足利義晴を京より追い出す。
1550年(天文十九年)  八月 十八日 蓮淳、没。
1554年(天文二十三年)八月 十三日 証如、没。
1557年(弘治 三年)  四月 十七日 顕如、結婚。
                        三条公頼、細川晴元、六角定頼、武田信玄と縁戚になる。
               五月二十九日 正親町天皇の即位式に本願寺、献金する。
1559年(永禄 ニ年)            顕如、門跡に列せられる。
1560年(永禄 三年)            桶狭間合戦。今川義元死去。
1564年(永禄 七年)            三河一向一揆終結。吉良義昭、三河追放。義安、後を継ぐ。

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