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2009年3月 3日 (火)

川戦:崩壊編⑩忠俊の発心Ⅱ

 安祥城を巡る1547年(天文十六年)からの戦いは大窪氏の根拠地である上和田を戦場にしていました。信孝は大窪家に対する遺恨を隠していませんでしたし、織田信秀というスポンサーもいましたから、大窪の妻子を磔に出来なかった腹いせに上和田については、苅田や狼藉くらいのことはしたものと思われます。
 また、1547年(天文十六年)には父である大窪(宇津)忠茂と、忠俊に大窪家の家名を与えた大窪藤五郎が死んでいます。翌年、彼らを苦しめた松平信孝は戦死し、大窪一族は上和田に戻ることが叶いました。しかし、大窪忠俊の眼前には荒廃した上和田郷、その双肩には大窪一族の行く末がのしかかってたことでしょう。忠俊の甥で弓の名手である大窪忠政が阿部定次の養子になったのはこの頃です。大窪忠俊としては、口減らしと近隣の六名の阿部家の支援を当て込んでのことだったと思われます。しかし、この翌年に松平広忠と阿部定吉が相次いで亡くなります。後継者の竹千代は太原崇孚が取り戻したものの、岡崎城は今川家から城代が送り込まれ、彼らの支配下におかれてしまったのです。
 松平家と大窪家の関係において、復興を当て込んでいたものが、これによって崩れてしまいました。おそらくはこれによって上和田の復興が大幅に遅れたものと思われます。そのために、三河物語は広忠への奉公を前面に出し、時代の当主に対する期待を忠俊に述べさせています。
 しかし、その時代の当主竹千代は1549年(天文十八年)の時点で九歳の童で、駿河国に人質に出されています。彼が戻ってくるのは1560年(永禄三年)桶狭間合戦を控えてのことでした。その間、忠俊は大窪一族を食わさなければなりません。忠俊は今川義元の命で大窪党を率いて織田方との合戦の戦陣を切り続けることになります。三河物語によると、この時の今川義元は松平家臣が戦死してもかまわないから、攻めに攻めさせたことになってます。開いた領地に自分の腹心を入れて三河支配を強化するという目的でです。
 大窪党を率いる立場の忠俊にとって、これは大きなプレッシャーだったと思われます。大窪党を食わせるためには、今川家のために参陣せねばならず、また自分が討死しては大窪党にかわって上和田の領地を取り上げられて今川家の直臣が入ることになってしまいます。生きるも死ぬも地獄の状態で、忠俊は精神に失調をきたして悪夢に苛まれるようになったといいます。

 それを救ったのが長福寺の住持、日朝という僧でした。長福寺は宇津家の菩提寺であった妙国寺と同じく日蓮宗の寺院です。ともに土岐頼直ゆかりの寺であるそうです。前後関係から考えて、日朝は大窪忠俊に宗旨を糺すことを迫ったのだと思われます。日朝にしてみれば、宇津家はもともと日蓮宗徒であり、忠俊が日蓮宗から離れて本願寺教団の勝鬘寺に保護を求めたこと自体が悪縁を強めることにみえたのではないかと想像します。忠俊にしてみても、既に本願寺教団に勝鬘寺の保護を受けており以上の借りを作れません。松平家は本願寺教団に依存した体質でありましたが、新しい主人である今川家の宗旨は臨済宗です。松平家そのものは浄土宗であり、過去ほど本願寺教団の特権の享受は期待できないものだったろうと思われます。
 とは言っても、すでに今川家にも大窪党として認知されているので、これを宇津に戻すことにデメリットを感じていたと思われます。また、今の大窪党の礎となった大窪藤五郎に対する恩義も捨て去ることはできなかったようです。『大窪党』はその音だけを残して『大久保党』とし、大窪忠俊は大久保忠俊となりました。一族もそれにならわせたようです。
 大久保忠俊は長福寺に帰依し、父忠茂以前の宇津家代々の墓をここに移しました。日朝が住持になったのは先代が入寂した1556年(弘治二年)以後のことだと思われますので、忠俊が宗旨を糺したのも、その頃だったろうと思われます。長福寺は大久保忠俊の精神的な支えとなり、それ以後忠俊は蟹江七本槍の一人として謳われるほどの活躍を示します。
 この大久保忠俊の長福寺への帰依は一つのモデルケースとなり、後に徳川家康の家臣団形成おいて決定的な影響を与えることになります。それが三河一向一揆の前後における徳川家臣団の集団改宗なのです。

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