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2013年5月15日 (水)

川戦:安城合戦編④真・安城城陥落Ⅰ(再掲)

1548年(天文十七年)織田信秀のもとに相模小田原の北条氏康から書状が届きます。本稿のキモであるので全文引用します。引用元は東京堂出版刊『戦国遺文 後北条氏編第一巻』百八頁所載の『○三二九北条氏康書状写 ○古証文六』です。

>如来札、近年者遠路故、不申通候処、懇切ニ示給候、祝着候、仍三州之儀、駿州無相談、
>去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、毎度御戦功、奇特候、
>殊岡崎之城自其国就相押候、駿州ニも今橋被致本意候、其以後、萬其国相違之刷候哉、
>因茲、彼国被相詰之由承候、無余儀題目候、就中、駿州此方間之儀、預御尋候、
>近年雖遂一和候、自彼国疑心無止候間、迷惑候、抑自清須御使并預貴札候、忝候、
>何様御禮自是可申入候、委細者、使者可有演説候、恐々謹言、

>十七年
>三月十一日
>氏康 在判
>織田弾正忠殿
>御返報

 見事に漢字ばかりですねぇ。そこ、逃げないでw! 古文・漢文は赤点ではありましたが、読み解きを試みたいと思います。赤点なので間違っていたらごめんなさい。

>如来札、近年者遠路故、不申通候処、懇切ニ示給候、祝着候、
(読み下し)来札の如く近年は遠路ゆえ、通じ申し候わざるところ、懇切に示し給いし候は祝着に候。
『如来札』の札は手紙の意。『頂いた手紙にあるとおり』という意味になります。
『祝着』はめでたいですね。
 返信の手紙であること。信秀・氏康間でそれまで手紙のやりとりは無かったことがうかがえます。

>仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城者要害則時ニ被破破之由候、
(読み下し)よりて三州の儀、駿州に相談なく、去年彼国に向けこの軍を起こし、安城の要害を即時に破られしの由に候、
 『三州』は三河国。『駿州』駿河国を指します。『彼国』はかの国=三河ですね。
 『去年』を『きょねん』とか『こぞ』と読めば1547年(天文十六年)の事件と言うことになるのですが、『さるとし』と読めば過去一般となります。ただ文脈からそう読めるかどうかがキモでしょう。

>毎度御戦功、奇特候、
(読み下し)毎度の御戦功、奇特に候。
 氏康、褒めてます。『奇特』は平たく言うと『凄い!』という意味ですね。

>殊岡崎之城自其国就相押候、
(読み下し)殊に岡崎の城を其国より押しあいとなり候。
 ここは重要な部分なのですが、解釈が難しいところです。安城城と岡崎城は矢作川を挟んだ両岸にあります。駿州に相談なく安城を攻め落とした結果、岡崎城が今川・織田両勢力の角逐の場となっていることが示されています。『其国』の解釈ですが、この書簡では『彼国』と『其国』という二種類の国を指した三人称指示語が使われています。信秀と氏康のこの書簡において三人称が使われるべき国は駿河国と三河国の二つしかなく、『彼国』は安城城のある三河国であることは明らかなので、『其国』は駿河国であり、使い分けをされていると思われます。
 『相押』をどう読むかがさらに悩み所です。とりあえず『押しあい』とよんで、岡崎城を巡って駿河国との角逐の場となった解釈しておりますが、岡崎城が駿河にとって織田勢に対する最前線の『押さえ』となったことを言っているのかもしれません。

>駿州ニも今橋被致本意候、其以後、萬其国相違之刷候哉、
(読み下し)。駿州にも今橋にて本意を致され候、それ以後、よろず其国に相違の刷候や?
 駿州の今橋は織田信秀の安城と対になっておりますね。『刷』は刷新の『刷』でしょう。情勢認識を新たにすべき事件は起こっていないかと聞いているわけですね。

>因茲、彼国被相詰之由承候、無余儀題目候、
(読み下し)ここによりて彼国は詰めあわされるの由、承たまわり候。余儀なき題目に候。
 今橋を今川が、安城を織田が取った結果、三河国は両勢力に分割されたことを北条氏康はやむを得ず認めております。

>就中、駿州此方間之儀、預御尋候、
(読み下し)なかんずく、駿州この方間の儀、お尋ね預かり候。
 信秀は、今川家と北条家の関係を確認したいようです。1545年(天文十四年)まで両勢力は駿河国河東領域を巡って戦いを繰り広げておりました。休戦中ではありましたが、敵の敵である北条家は味方になるのか否か、それによって戦略も変わってくるのですね。

>近年雖遂一和候、自彼国疑心無止候間、迷惑候、
(読み下し)近年、一和を遂げ候えども、彼国より疑心止むこと無きに候らはば、迷惑に候。
 ここでの『彼国』は駿河に変わっていますのでご注意を。というのはこの一つ前に同日付の本文書の草稿とおぼしきものがあり、三河国の件をはずして、問い合わせの回答が全く同じ表現で書かれているからです。

>抑自清須御使并預貴札候、忝候、
(読み下し)そも清須よりの御使い並びに貴札預かり候は、かたじけなきことに候。
 礼使派遣のお礼文。定型文です。

>何様御禮自是可申入候、委細者、使者可有演説候、恐々謹言、
(読み下し)何様御禮をこれより申し入れるべく候。委細は使者演説あるべき候。恐々謹言。
 ここも定型文。詳細を使者が語るのはこの時代の常識のようです。

 大意を超訳にて記します。

 いただいたお手紙に書かれていた通り、私のいる相模とあなたのいる尾張国は遠路なので、近年は行き来もありませんでした。にもかかわらず、このたびご丁寧にも使者を送っていただいたことは、喜ばしいことです。あなたの手紙に書かれている三河国の件についてですが、駿河の今川義元に相談もなく、昨年三河国に対し軍を起こし、安城の要害を即時にやぶられたそうですね。あなたの戦功についてはいつも聞き及んでおりますが、このたびの軍功も凄いものだと思います。
 とりわけ岡崎城は駿河勢との角逐の場となってしまいました。その駿河勢も今橋(現在の吉田)を占領して本意を遂げています。それ以後の駿河国の情勢に変わりはないでしょうか。ここに三河国は尾張と駿河の二勢力が詰め合いする場となったと、承りました。仕方の無いことだと思います。
 駿河の情報の中でも我々北条との関係について、お問い合わせの件にお答えします。近年駿河国とは確かに講和を結びましたが、駿河国に対する疑心は止むことがなく、迷惑な思いをしております。
 ともあれ清洲からの使いとお手紙いただいたことはありがたいことです。お礼をこれより申し入れたいと思います。委細は使者に述べさせます。恐々謹言。

 この返書に先立つ織田信秀書状の中身が気になるところですが、第一が安城城を破ったことの報告。第二が今川家と北条家の関係についての問いただしです。
 氏康の返答は第一については素直に褒めているので入るのですが、攻め入るに当たって今川氏と相談のなかったこと。三河国が織田と今川で対立する場となったことを言い立て、三河国に織田勢は入ることは承認しているものの、『余儀なき』ことと婉曲に非難しているように読めなくもありません。
 第二点については駿河国の好戦性に迷惑な思いをしていると言っています。氏康にとっては三河の角逐は歓迎できるものではなかったようです。信秀としては北条氏康を味方に抱きこんで今川家の背後をつくことを期待しているようですが、北条としては織田家を敵に回すわけではないものの、戦いに参加することについては消極的なようです。

 『去年』がいつを指すかについての考察ですが、いくつかのポイントがあります。1540年(天文九年)説にたった場合、いくつか文脈が不自然になる部分があるのですね。
 第一に『毎度御戦功、奇特候』。北条氏康は織田信秀の優れた軍才についての評判はすでに耳に入っております。故に、安城陥落の武功を『毎度』とそれまでの戦功に追加して褒め称えた表現となったものと思われます。初めての手紙に自己紹介がてら七年も昔の武功を記したのなら、返書には安城攻めの武功は当国にも鳴り響いている。くらいの表現になるかと思われます。
 第二に『因茲(これによって)』三河国が二勢力の角逐の場となったという表現です。これとは、信秀の安城奪取と今川義元の今橋奪取の二つが考えられます。義元の今橋(吉田)奪取は1546年(天文十五年)です。1540年(天文九年)から信秀が安城を持っていたのなら、この文面に今川家の今橋奪取についての詳細が書かれていても良さそうにも思えます。よって、『去年』は『きょねん・こぞ』と読むべきであり、『さるとし』と読む場合においても1546年(天文十五年)からそうずれていない時期であろうと思われます。現時点の印象においては、1547年(天文十六年)説で組み立てたくはあるのですが、別説にも若干含みを残しておきます。理由は次稿で述べます。

 本当は1540年(天文九年)なのにさも最近のことのように読ませようとした信秀の駆け引きであるという説もあるそうですが、文面を検討してどのようなシチュエーションでそのような説ができるのか、少し疑問である。ということで本考察の結論としたいと思います。

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コメント

はじめまして。大変興味深いです。氏康書状について思うところを拙ブログに書きました。
http://d.hatena.ne.jp/tonmanaangler/20130531
なにぶんド素人なもので基本的なところで間違っているかもしれません。批判する価値もないと思われるかもしれませんが、コメントいただければうれしいです。

投稿: 国家鮟鱇 | 2013年5月31日 (金) 11時43分

コメントに気づかずすみませんでした。先にコメントつけさせていただいておりますが、非常に興味深い考察で勉強になりました。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 巴々 | 2013年6月 8日 (土) 12時38分

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