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2013年5月27日 (月)

川戦:安城合戦編⑩史料パズルⅡ

 前稿で紹介した古証文の6冊本の史料の並び順について、前稿で個別に見た史料の検証結果を加味してみます。

 ③の文書の切れ目が⑪文書の改頁後につながっております。よって、②、③、⑪の文書は以下の通りに分割することができます。⑨も文書の宛名の所で改頁をしていますので、一応分割しました。意味はつながっていても不自然ではありません。尚、宗瑞文書は『今度氏親~』で始まりますので、分割されて完全になります。

①     十二月 十六日付 一色式部少輔宛  織田弾正忠信長文書
②天文十七  三月 十一日付 織田弾正忠宛   氏康文書(多賀枇杷庄~)
③    閏十一月  七日付 巨海越中守宛   (北条早雲)宗瑞文書(不完全)

④    閏十一月 十一日付 水野十郎左衛門宛 織田弾正忠信秀文書
⑤      九月二十三日付 安心軒・瓦礫軒宛 齋藤左近大夫利政文書
⑥      九月二十五日付 水野十郎左衛門宛 長井九兵衛秀元文書
⑦天文十七  七月  朔日付 朝比奈○三郎宛  義元文書
⑧      四月 十ニ日付 水野十郎左衛門宛 義元文書
⑨      三月二十八日付 安心宛      鵜殿長持文書
⑩      十月  九日付 徳川宛 (北条陸奥守)氏照文書
⑪  十七年 三月 十一日付 織田弾正忠宛 氏康文書(短文バージョン)

 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

①      十二月 十六日付 一色式部少輔宛  織田弾正忠信長文書
②       七月  十 日付 一式式部少輔宛  木下藤吉郎文書(前半部分)《改頁》
②'天文十七  三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(短文バージョン文末)
③   十七年 三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(長文バージョン前半部分)《改頁》
③'    閏十一月  七日付 巨海越中守宛   (北条早雲)宗瑞文書(完全版)

④     閏十一月 十一日付 水野十郎左衛門宛 織田弾正忠信秀文書《改頁》
⑤       九月二十三日付 安心軒・瓦礫軒宛 齋藤左近大夫利政文書
⑥       九月二十五日付 水野十郎左衛門宛 長井九兵衛秀元文書《改頁》
⑦ 天文十七  七月  朔日付 朝比奈○三郎宛  義元文書
⑧       四月 十ニ日付 水野十郎左衛門宛 義元文書《改頁》
⑨       三月二十八日付 安心宛      鵜殿長持文書《改頁》
⑨'      三月二十八日付 安心宛      鵜殿長持文書

⑩       十月  九日付 徳川宛     (北条陸奥守)氏照文書
⑪ 天文十七  三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(短文バージョン前半部分)《改頁》
⑪'  十七年 三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(長文バージョン文末)

 氏康文書の前半・後半が意味の通るように並べ替えるためには②'と③の文書が⑪の後にくればよいことになります。また、②と③'の間には木下藤吉郎文書の後半部分だけではなく、他の文書がくることが予想されます。以上を並べ替えると次の形になります。この並びの③'~⑪'までの並びは4冊七巻本と一致します。(①~③'までの並びは確認はとれていません)

①      十二月 十六日付 一色式部少輔宛  織田弾正忠信長文書
②       七月  十 日付 一式式部少輔宛  木下藤吉郎文書(前半部分)《改頁》
       (木下藤吉郎文書の後半部は未確認。更に別文書が続くものと推測される)
③'    閏十一月  七日付 巨海越中守宛   (北条早雲)宗瑞文書(完全版)
④     閏十一月 十一日付 水野十郎左衛門宛 織田弾正忠信秀文書《改頁》
⑤       九月二十三日付 安心軒・瓦礫軒宛 齋藤左近大夫利政文書
⑥       九月二十五日付 水野十郎左衛門宛 長井九兵衛秀元文書《改頁》
⑦ 天文十七  七月  朔日付 朝比奈○三郎宛  義元文書
⑧       四月 十ニ日付 水野十郎左衛門宛 義元文書《改頁》
⑨       三月二十八日付 安心宛      鵜殿長持文書《改頁》
⑨'      三月二十八日付 安心宛      鵜殿長持文書
⑩       十月  九日付 徳川宛     (北条陸奥守)氏照文書
⑪ 天文十七  三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(短文バージョン前半部分)《改頁》
②'天文十七  三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(短文バージョン文末)
③   十七年 三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(長文バージョン前半部分)《改頁》

⑪'  十七年 三月 十一日付 織田弾正忠宛   北条氏康文書(長文バージョン文末)

 以上の事実に基づき、安城市史の言う、(氏康文書)は『「朝野旧聞ほう藁(※)」にも「古証文曰く」として載せられているが(同書永正三年(1506)十一月十二日条)、そこでは本文末尾の「恐々謹言」の「恐々」以降から、全くの別文書である永正三年閏十一月七日付宗瑞書状(史料三七五解説参照)につながった不完全な形で納められている』理由について結論を申し述べます。

 朝野旧聞ほう藁は同書が言うとおり、古証文から同書記事を引用しております。その古証文は乱丁のため、頁が入れ替わっており、長文バージョンの氏康文書と宗瑞文書が合体したものが一つの文書のように見えておりました。朝野旧聞ほう藁はその間違いを気づかないまま掲載したものです。内閣文庫の6冊本の二部は筆跡は異なりますが、二部ともが同様の乱丁をしております。併せて頁と行数、改行・改頁位置も合わされておりました。4冊七巻本も頁順を除けば同様であるので、これら三冊は乱丁のある二冊のいずれかが種本になったか、または、乱丁のある底本から手作業でカーボンコピーのように忠実に筆写されたものと言えると思います。4冊七巻本も冊数と巻数が異なるバージョンとして作られていることから、後になって乱丁に気づいて、綴り直された本であると考えるべきかと思われます。

 もう一方の朝野旧聞ほう藁は、文面を肉筆書写しているものの、改行位置は異なっておりますし、字形も必ずしも忠実とは言い難い印象を持ちました。そのあたりについては、次稿にて詳しく述べてゆこうと思います。

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