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2013年6月18日 (火)

中漠:臨済編③北条時頼の場合

 栄西は日本における臨済禅の開祖であると同時に茶を始めて日本にもたらした人物です。教義の違いでギスギスしがちな他宗との関係を、お茶でもって和ませた。そんな性格だったのではないかと思います。故に、初期の禅宗は密教、特に真言宗とペアで扱われています。京の建仁寺は禅・天台・真言の三宗兼学の寺でした。そして、栄西の後継として寿福寺の住持におさまったのはそれまで鶴岡八幡宮や永福寺にいた退耕行勇です。彼は頼朝の死後に北条政子の剃髪をした人物ですが、彼女が寓居とした安養院が律宗の寺(後に浄土宗に改められる)であることを考えると、もともと律宗僧であったと考えるべきでしょう。彼は栄西が鎌倉入りする以前に足利義兼のために極楽寺(後の鎌倉五山の一つ浄妙寺)を建てています。
 また、栄西が幕府の力を利用して旧仏教系寺院への影響力を強めようと高野山に禅定院を建てました。ここで北条政子が禅定如実という戒名をもらって入道しようとします。その当時、高野山には頼朝の遺児(政子の子ではない)貞暁がおりました。高野山といえば真言宗の本山です。ここで政子は貞暁と和解すると同時に帰依したとされますから、この頃の禅といっても、建仁寺と同様の禅・天台・真言の三宗兼学のような体制であったと考えられます。

 禅が禅宗という宗派として独り立ちできるようになったのは、北条家第五代執権北条時頼と蘭渓道隆の活躍によるものといえます。それ以前は日本の僧が南宋に渡って禅を学んで故国で禅宗を広めていました。栄西を始めとする禅僧達は既成宗教と妥協的・漸進的でした。それを南宋の禅僧が渡日して正しい禅風を広めようとしたのです。蘭渓道隆が来日したのと同じ年、北条時頼が執権職につきました。源氏三代が滅び、北条家が執権として鎌倉幕府を統括した時代ですが、お飾りの征夷大将軍がお飾りに甘んじず、北条以外の有力御家人と結んで策謀を企んでいました。これを武力で一掃したのが北条時頼です。北条家の全盛時代でした。だから、やりたいことは大体において実現できた。このタイミングで蘭渓道隆が来日できたのは大いなる幸運だったといえます。
 この蘭渓道隆の渡日には円爾という日本人僧の存在があったと考えられます。円爾は南宋に渡り、臨済宗の無準師範を師の印可を受けて帰国しました。蘭渓道隆は四川出身ですが、この無準師範は彼の師の一人で、同門ということができます。蘭渓道隆を皮切りに南宋からの渡来僧が中国の禅文化をもたらすわけですが、そのきっかけとして円爾の存在がありました。彼は京で活躍しますが、別項で取り上げます。

 蘭渓道隆は大船の常楽寺を皮切りに、教えを広め、既存の寺を臨済禅寺風に改めます。寿福寺、建長寺、修善寺、浄妙寺(元極楽寺)、建仁寺、東光寺、禅興寺(元最明寺)と渡日後三十二年年間に驚異的なペースでそれは行われました。ただし、全てが順調にいったわけではありません。今までそれなりに調和をもって行われていた興禅が鎌倉幕府の力を後ろ盾に禅風に改められたことに対しては、大きな反発があったものと思われます。

 1236年に大陸で覇を唱えていた満州族の金国がモンゴルに滅ぼされます。1259年には朝鮮半島にあった王朝高麗がモンゴルに服属するにいたります。そして、1268年に服属を求める国書を日本に届けました。その後モンゴル帝国は分裂し、華北に勢力をもっていたクビライ・ハーンは1272年に国号を元と改めます。
 日本国はこれを脅威と受け止めました。南宋の人々が日本にやってくるのも滅亡寸前の国からの逃亡であるという側面もあるでしょう。しかし、日本のほうもこれをモンゴルのスパイではないかと疑いをもたげたのです。そんな中、過激な宗教改革をする蘭渓道隆はスパイと見なされ、二度ばかし鎌倉を離れざるを得ませんでした。一回目は伊豆に避難しました。そこにあった修善寺は天台宗の寺でしたが、禅寺に改めてます。転んでもただで起きないのは彼のパーソナリティでしょう。二回目は本当に疑いをかけられて甲斐に流されたのです。ここでも甲斐の東光寺を禅寺に仕立て直すことをしています。
 その間、北条時頼は亡くなり、彼の寓居であった最明寺は後継者である北条時宗の手によって興禅寺という寺院に改められています。これに協力して住持になったのも蘭渓道隆でした。彼は不屈の闘志をもって日本における臨済宗の純化に勤めたのでした。
 彼自身が元帝国の間諜であったかわかりません。しかし、日本の仏教風景を大きく塗り替えたという意味においては、彼の影響力はきわめて大きかったと評さざるを得ないでしょう。後に定められた鎌倉五山のうち、建長寺、寿福寺、弟子が関わった浄妙寺、京都五山のうち建仁寺が彼に関わって寺風を変えたのですから。

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