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2013年6月20日 (木)

中漠:臨済編④兀庵普寧と無学祖元

 北条時頼と蘭渓道隆との関係は常に良好であったわけではありませんでしたが、蘭渓道隆は彼自身のやり方で日本国に禅宗を広めてゆきました。栄西のもとで顕密禅三教が混交した形の禅寺を宋風の禅寺に変えた彼のやり方は大きな反発を招いただろうことは容易に想像できます。彼は元帝国の密偵であると疑われて甲斐に流されたといわれていますが、彼が勤めていた建長寺の住持の後を継いだのは、兀庵普寧(ごったんふねい)という中国人でした。李下に冠を正さずなんて諺もありますが、本当に蘭渓道隆を元国の密偵だと疑っていたなら、その後を中国人にまかせるなんてことはなかったでしょう。
 兀庵普寧の来日をプロモートしたのは、蘭渓道隆と円爾でした。彼もまた、無準師範の弟子筋です。北条時頼はこの兀庵普寧のもとで臨済禅の印可をうけました。時頼は兀庵普寧が来日する以前に出家はしていました。それは、命に関わるような大病にかかったためだったのですが、持ち直したのですね。だから正式に仏教の修行をしていたわけではなかったわけです。
この兀庵普寧は北条時頼の死後、まもなく帰国してしまいますが、蘭渓道隆はその帰国以前に鎌倉に舞い戻っているのですね。故に、北条家は決してこの中国僧たちを邪険に扱ったわけではない。むしろ、彼らを排斥しようとしたのは、所謂真言・天台の旧仏教系の勢力ではなかったかと思います。彼らからしてみれば、兼学を掲げているから大目に見ていた禅寺から、旧仏教系の教えを排してしまったのです。しかもそれが鎌倉幕府の執権に所縁深い寺院であったので、影響は甚大でした。

 さて、南宋に帰国した兀庵普寧は今の浙江省温州市あたりにある、江心山龍翔寺に落ち着きました。ただし、彼が帰りついた南宋は落ち着くどころではありませんでした。クビライ・ハーン率いる元帝国の猛攻に、滅亡寸前だったわけです。南宋の首都は現在では同じ浙江省の領域にある、臨安(現在の杭州市)でしたが、戦災を逃れて、安全の地を求める人々が列をなしていたそんな時代でした。1273年(文永十年)には南宋の最重要防衛拠点である襄陽が破れ、1275年(文永十二年)は浙江省との境を接する蕪湖(安徽省蕪湖市)で大規模な戦闘が行われました。この戦いで南宋は破れます。もはや南宋領域は実質的に首都臨安を中心とする浙江省領域に限られ、その臨安が次のターゲットになっていたわけです。
 そんな中、戦災を避ける避難民の中に臨済禅の僧がおりました。名を無学祖元といいます。彼が避難地として選んだのは、兀庵普寧がいた温州でした。能仁寺という寺に寓していたといいます。
 兀庵普寧と無学祖元は同じ師、無準師範のもとで修行をしております。同宗でなおかつ同じ師のもとで修行していた僧が同じ温州(現在の温州市、尚、中国の市は日本の県クラスの大きさがあります。)にいたわけです。交流があったと見るのが自然でしょう。
 無学祖元が温州に避難した翌年の1276年(建治二年)、兀庵普寧は示寂します。この年、ついに臨安が陥落し、事実上南宋は滅亡しました。中国に無学祖元の居場所がなくなってしまったのです。

 南宋の残存勢力が広東で抵抗しますが、1279年には鎮圧されます。無学祖元が日本に向かったのはその年でした。時の鎌倉幕府の執権北条時宗が招いたということになっておりますが、その選択肢を与えたのは、北条時頼と兀庵普寧との関係にあったと見てよいでしょう。無学祖元は蘭渓道隆(1278年(弘安元年)示寂)がいた建長寺の住持となって、北条時宗のブレーンの一人となりました。無学祖元が日本に亡命して二年後の1281年(弘安四年)に無学祖元の後を追うようにして元軍が二度目の日本侵略を企てます。世にいう弘安の役です。鎌倉幕府は朝廷と連携して、九州北部沿岸に防衛線を張り、撃退に成功しました。
 文永・弘安の戦いの戦没者を追悼するために、北条時宗は無学祖元に寺院を建立させました。円覚寺です。蘭渓道隆・兀庵普寧・無学祖元は北条執権政治の鎌倉に現れて、北条家の実力を背景に南宋の禅風を日本にもたらしました。それは単純に文化の移植というのではなく、思想・文明の輸出と呼ぶべきものであったのではないかと思います。臨済宗は鎌倉幕府の権力と一体化してゆきます。その現れの一つが五山という制度の導入なのです。

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