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2013年6月13日 (木)

中漠:臨済編①臨済宗とは?

 一口に禅宗と言っても、他宗と同様色々な分派に分かれております。その淵源は達磨大師にあります。この達磨大師はもともとはインドの王子様でしたが、出家して中国に流れてきました。その時、中国は南北朝時代で、南朝は梁、北朝は北魏が治めておりました。達磨大師は中国に座禅の修行法を伝えて禅宗を始めたものとされております。しかし、禅宗が重視する座禅による瞑想は、仏教徒の基本的な修行法であり、釈迦以前にもあったものです。同時に達磨大師本人が禅宗の根本経典を書いたというわけでもありません。座禅を重視する仏教の一派が唐末になって自らの流儀の正統性を強調するために達磨大師の名前を借りたというところが正しいところでしょう。
 禅宗の特徴は座禅を通じて悟りを得る、いわゆる自力本願を目指すところにあります。自力本願を最初から放棄した阿弥陀信仰=浄土門とは異なるものです。大乗仏教のカテゴリに入りますが、自力救済を掲げる上座部仏教に似た面もあり、古態に近いものと考えることが出来るでしょう。
(もっとも、禅宗に念仏を取り入れた黄檗宗というものが明末に発生し、江戸時代に日本に入ってきますが、これは戦国時代の仏教のカテゴリから外れますので割愛します)

 この仏教の流派は南北朝から隋唐・五胡十六国を経て宋代まで中国で発展し五家七宗の分派を形成して発展しました。これが最初に日本に入ってきたのは平安時代らしいのですが、本格的に入ってきたのは鎌倉時代になってからです。日本から宋へと留学した学僧栄西が臨済宗を、道元が曹洞宗を学んで持ち帰りました。それをきっかけとして、中国から禅宗の教えを広めに来日する禅宗の高僧達があまた現れます。それはモンゴルの南下によって宋国が滅亡したこととおそらくは何らかの関係があるでしょう。北条時頼以降の歴代執権は彼らを保護して、彼らのために京と鎌倉に寺を建立します。これが五山の始まりです。

 戦国史を研究するに当たりとりあえず押さえておくべきは先ほど述べた臨済宗と曹洞宗です。どちらも座禅を重視するところは同じです。が、その大まかな違いは曹洞宗が『只管打坐』と言うただひたすら座禅を組むことを重視したことに対し、臨済宗は修行の方法として座禅の他に『公案』というものを取り入れていることですね。公案というのは本を読んだだけで自分も理解出来ていないのですが、悟りというものは言葉や文字では表現出来ないものなんだそうです。で、どうやって悟りに至るのか、悟りに至った境地というものはどんなものなのか、等のヒントを問答と言う形で記したものらしい。具体的には問答の形式を取るもので、『そもさん!』という言葉とともに問いがなされ、『説破!』という言葉の後にその問いの答えが示されます。いわゆる『禅問答』と言う奴ですね。問答そのものは文字で読む限りにおいては、非論理と言うか、脱論理なものであり、それ故に悟りは文字や言葉では得られないものであるという構造になっているようです。

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