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2013年6月11日 (火)

中漠:中世史漠談

 川の戦国史は一旦お休みして、戦国史以前の話を当分の間したいと思います。視野を戦国史から中世史全体に広げて漠然とした語りをやってみたいと思います。名付けて『中世史漠談』です。
 コンセプトとしては、日本中世史、具体的には鎌倉・室町・戦国期における中世史を仏教史、とくに鎌倉仏教と呼ばれる新仏教史と絡めながら漫然と語ってゆくことを目指していきたいと思います。
 なぜ、そのような形で取り進めるかと申しますと、かつて司馬遼太郎氏が織田信長の業績について言及する時に『仏教や荘園制などの古い制度を破壊して、近世の扉を開いた』と評価されていたことが、ずっと心に残っていたためです。
 織田信長は良く知られている通り、延暦寺を焼き討ちし、本願寺教団の拠点を根切りし、洛中の法華信徒に論争を仕掛けて折伏を止めさせました。それ以降、寺社勢力は猫の子のように大人しくなり、江戸期になって、葬式と戸籍を管理する役場としての役目を果たすだけの存在になったと言われております。

 ただ、歴史の本を読むに、例えば、北条早雲や武田信玄や上杉謙信などは僧形の武将なのに、彼らがどのような宗旨で、その宗派はどんなコネクションを持っていたのか語られることは稀です。太原崇孚は今川義元の側近として辣腕をふるった禅僧ですが、一介の禅僧が何故戦国武将の軍師として活躍しえたのか。豊臣秀吉や徳川家康が天下を取った後も、西笑承兌や天海・崇伝らが当たり前のような顔をして脇を固めていることに違和感を禁じえませんでした。

 それは間違いなく、織田信長が壊した古き物の残滓であったのでしょう。では、それは一体何だったのでしょうか? 果たして我々は十二分に知っているでしょうか? 『中世史漠談』においては、その実相がどんなものだったのか、判り易く迫ってゆきたいと思います。

 宗教、宗派、宗門というものは組織です。寺領や寄進などの財源を持ち、本末の寺院統制をベースとするシステムが形成されているのです。鎌倉幕府や室町幕府の重鎮達はこの組織人たちとの密接なつながりを有していました。末は国主に満たぬ、国人・土豪達も自らの祖先を祭るため、菩提寺をたてておりますね。古代・中世・近世の政治史の見えにくい部分には、そういったコネクションが厳然として存在しています。まずは、それらの諸宗教の成り立ちと発展経緯を素描し、併せて鎌倉・室町時代の政治史と絡ませてゆきたいと思います。

 記述の中で各宗派の教義に言及しているところがありますが、そこははっきり言って半可通の思い込みの産物です。一応、歴史的事実は追っているつもりではありますが、各宗派の教義の理解については、不正確なところがままあるかと思いますし、そういうところに関心のある方は直接寺院の門を叩いて本職の僧侶に話をうかがう方がより理解が進むことでしょう。

 寺社は飛鳥時代に日本に来てから現代にいたるまでずっと存在し続けてきたものです。中世における寺社というものを何に例えるのが適当でしょうか。按ずるに、それは金が流通する以前、資本主義が発生しえない環境において発生した企業、カンパニーとしての側面があるととらえればよいのではないかと考えております。寺院は朝廷や豪族から寄進された土地を経営します。寺院組織の横のネットワークは最適化された経営情報を共有し、効率的な統治を行います。寄進した朝廷貴族や豪族達は時にその寺社に一族の物を送り込んで、その経営手法を学び、自らの統治に役立ててきたのではなかったでしょうか。

 仏教そのものは中国から伝来しましたが、仏教の名のもとに渡来してきたのは経典や渡来僧だけではなく、茶や味噌など仏教寺院を経由してライフスタイルまでが規定されていったものと推察いたします。寄進者はそういったメリットを享受できるために、ただ単に財産を捨てているわけではなく、ウィン・ウィンの関係を構築していると言えるでしょう。もちろん、寺社側でも自らのノウハウを全て提供してしまってはそれ以後の飯の種がなくなりますので、時に難解な経文を教えて優位性を保つこともあったでしょう。ただ、それだけではなく本山と呼ばれた寺院の多くは自らの組織中に職人集団を形成しておりました。運慶・快慶などがその代表例です。寺社はそのような職能集団を自らの組織の中に抱え込んでゆきました。
 銭が十分に普及していない時代に、物流を裏打ちするものは、信用以外の何物もありません。そんな時代に寺社は全国にネットワークを広げて物や技術の流通に寄与したのではないでしょうか? 宗教指導者達はそれぞれ自らの教理の正しさを他宗派と競いましたが、武家や公家が寺社に期待した物は主にそういうものなのではなかったでしょうか。
 そういう問いかけを投げつつ、取り進めをしてゆきたいと思います。

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