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2013年6月29日 (土)

中漠:臨済編⑧一山の弟子であること

  本稿から数回かけて、夢窓疎石の前半生を追いかけてゆきたいと思います。夢窓疎石は北条高時、後醍醐天皇、そして足利尊氏・直義兄弟の外護を受けて数多くの寺社を建てて、臨済宗の興隆をもたらしました。
 夢窓疎石の生涯は三つの区分に分けて考えると、彼の人となりを理解する為の一助となるかと思います。すなわち、修業時代、ノマド時代、そして出世時代です。

 夢窓疎石は伊勢国に生まれた佐々木氏の出です。母が北条政村の娘といいますから有力御家人の家です。北条政村は北条一門の傍流として得宗家を支え、最明寺入道北条時頼死後、時宗に執権の座を引き継がれる過程で一時的なつなぎとして執権職を務め、時宗相続後はそのまま連署を務めるなど、鎌倉幕府の政権中枢にいた人物です。夢窓疎石が生まれる二年前に、この政村は既に亡くなっており(享年六十九歳)ましたので、この政村の娘は歳を経た後に生まれた娘ということになります。夢窓疎石誕生時には政村の嫡男、時村の代となっており、鎌倉幕府の枢要を担うべく、六波羅探題として京に赴任しておりました。そのような折に、夢窓疎石の両親は生国伊勢をさり、東国甲斐の国に移住します。母方、つまり北条一族の諍いが原因とされていますが、この状況でより鎌倉に近い甲斐国に移住するということは、おそらくは北条時村とは折り合いが悪かったのではないかと想像します。そして、まもなく母親とは死別し、夢窓疎石は齢九歳にて出家の身となります。
 天台宗平塩寺で九年学んだ後に、南都で受戒を受けるも直ぐに禅宗に転じます。
 禅の師は無穏円範といい、蘭渓道隆の弟子でした。彼は蘭渓道隆の教えを受けた後に入元してその帰国後に教えを継いだとされていますが、蘭渓道隆の入寂は南宋滅亡の前年であることを考えれば、無穏円範は蘭渓道隆の正式な印可を得ていたとは思えません。文永の役の前後から南宋滅亡期にかけて、きな臭い状況下の入元となりますので、おそらくはスパイ活動ではなかったでしょうか。帰国後の無穏円範は京都建仁寺の住持を任されていたといいますから、これも危険の代価であると考えれば納得のゆくものです。蘭渓道隆本人が亡命に近い形で渡日しております。弟子が可愛いなら留学目的とはいえ兵禍のある大陸に送り込むのはいかがなもの、と思います。穿って考えるなら、蘭渓道隆は円爾の協力と北条時頼のバックアップで日本の寺院を次々に中国禅寺風に改めましたが、彼自身は十全な弟子の育成カリキュラムを持っていなかったのかも知れません。北条時頼は蘭渓道隆の死後、その後継者を南宋に求めて兀庵普寧を招いているのですから。日本国内で嗣法を繋いでゆくためにはまとまった数の指導者が組織だって弟子に指導を行う必要があったと考えていたのではないでしょうか。

 夢窓疎石は旺盛な知識欲の持ち主でした。そんな夢窓疎石にとって無穏円範が禅の最初の師であったことは必ずしも彼に満足を与えなかったものと思われます。そんな中で、元国から大師号を授けられた一山一寧が来日したことを知ります。漢人から学んだ師匠が自分に十二分な学びをもたらさないなら、漢人の名僧に直接学べばよいと考えたわけです。来日した一山一寧の教えを求めて数多くの学僧たちが彼の住まう鎌倉建長寺に集いました。夢窓疎石の学はその集まった僧たちの誰よりも抜きんでていて一山一門の首座を務めるに至ります。しかし、ここでも無穏円範の時と同じことが起こります。悟りを得ることが出来なかったのですね。理由はいくつか考えられます。まず第一に一山一寧は円爾、蘭渓道隆、兀庵普寧、無学祖元らとは同じ臨済禅ではありますが異なる法流にありました。一山一寧は大師号を元の皇帝から得ておりましたが、これは彼を日本に使節として送り込む際に、殺されずに任務を全うさせるため、禅を珍重する鎌倉幕府の首脳たちの警戒心を緩めるためでもありました。そしてそれは一応の成功を収めるわけです。そもそも一山一寧の来日は元の皇帝の使者としての使命を帯びたものであり、禅の境地を東方に伝えるためではなかったわけです。当然、彼もまた教えを乞う弟子を教え導くノウハウを完備しているわけではありません。雪村友梅は一山一寧の侍童として彼の身近にいましたが、結局のところ彼は一山から学んだ語学を持って元に渡り、そこで元朝からの迫害を含む厳しい修行経験を経て初めて禅僧として大成したわけです。
 夢窓疎石は一山一寧に出会う以前に学識を得ておりましたから、今ここでこの漢人の智慧を得て、自らの求道を完成させようとしました。しかしながら、一山一寧が夢窓疎石の多年の努力に対して与えた回答は、夢窓疎石の期待にそうものではありませんでした。
その言葉とは、『我が宗には語句なく、また一法の人に与うることなし』というものです。

 夢窓疎石にとっては大きなショックだったと思われます。一山一寧の門を辞した彼は新たな師として高峰顕日を得ることになります。

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