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2013年7月 2日 (火)

中漠:臨済編⑨継嗣高峰

 高峰顕日は後嵯峨天皇の皇子であり、兄弟に大覚寺統の亀山天皇、持明院統の後深草天皇がおり、さらに宗尊親王は鎌倉に降って征夷大将軍になっております。貴人の中の貴人といえるでしょう。彼は円爾、兀庵普寧、無学祖元の三人の師から学んでおりました。先に述べたとおり、南宋禅を本格的に日本にもたらしたのは蘭渓道隆ですが、その蘭渓道隆の来日をプロデュースしたのが円爾です。
 円爾は南宋に渡って無準師範の印可を受けました。彼は日本に戻り、祖国に本格的な中国禅を移植することに生涯を捧げます。彼は東福寺を開山して底の住持に収まるも、それだけでは満足していませんでした。それは、中国における禅と栄西が持ち帰ったはずの禅とはまるっきり違っているものだったからです。日本における禅は天台宗延暦寺の介入があって、顕密禅三教兼修を行うものだったわけです。円爾はこの状況を改善して純粋禅を広めたいと思ったはずですが、彼もまた祖国にしがらみのある身だったので、せいぜいが自分の寺で学んだ禅を教えるしか方法がなかったのですね。そこで円爾は帰国後も中国にいる師無準師範と文通を行う一方、鎌倉幕府の北条時頼と接近して漢人の禅僧を呼び寄せることに成功します。それが蘭渓道隆でした。蘭渓道隆は円爾とは印可を受けた法流こそ異なっていますが、円爾の師である無準師範の教えを受けたことがあり、来日したのもその縁であると思われます。蘭渓道隆は空気を読まずに自分が入った寺を次々と南宋風に作り変えてゆきました。とは言っても中にいる僧たちを総とっかえするわけにもいきませんし、彼一人では南宋と同じレベルの修行を弟子たちに課すこともままならなかったのではないか、と思われます。蘭渓道隆の強引なやり方は各所で反発を招いて北条時頼は彼を流罪にせざるを得ないところまで追い込まれましたが、その一方で円爾と諮って兀庵普寧を呼び寄せます。兀庵普寧は蘭渓道隆が整えた日本における南宋風禅院の状況をつぶさに観察した後、帰国します。時に南宋は滅亡寸前でした。すでに蘭渓道隆も北条時頼も亡くなっておりましたが、その遺志を北条時宗が継いで再び中国からの禅僧招聘を円爾に依頼します。円爾は兀庵普寧ルートで同じ無準師範門下の無学祖元を送り込んだのでした。日本の状況をつぶさに見て帰国した漢人僧の手になるものでしたので、日本に南宋風禅院を移植するには何をすればよいのか、無学祖元は心得ていたと思われます。その無学祖元の法統を嗣いだのが、高峰顕日だったわけです。それ以前には円爾と兀庵普寧にも学んでます。南宋に留学して五山で直接学んだ者をおけば、日本に居ながらにしてもっともシステマティックな教学を学ぶことが出来たと言えるでしょう。

 夢窓疎石はその高峰顕日を頼ったわけです。何分にも来日した漢人僧から印可を与えられた高峰顕日ですから、夢窓疎石が何に苦しんでいるのかを恐らくは自分の経験と引き比べて理解していたはずです。但し禅宗はしその達磨大師が梁の皇帝と対峙した時の逸話にあるように、ストレートなコミュニケーションを好みません。高峰顕日は夢窓疎石に禅問答を仕掛けてしまうわけですね。我が宗に語句なしといっても、それまで一山一寧は夢窓疎石を言葉で指導していなかったのか、とその時なぜ言い返さなかったのか。逆にこの言葉に夢窓疎石は追い詰められてしまうのでした。夢窓疎石はこの問答の答えを探すために、東北地方を旅をし、何かをつかんで鎌倉に舞い戻り、高峰顕日に再会します。
 そして、高峰顕日が問います。お前が師一山から教わったことは何かと。夢窓疎石が高峰顕日に披露した答えは、言葉ではなく拳という肉体言語でした。要するに、夢窓疎石は新しい師、高峰顕日をぶん殴った訳です。ぶん殴られた高峰顕日は意を得たりと笑って、法衣を渡しました。高峰顕日による印可の証です。俗人には理解の埒外にある話ではあります。高峰顕日は出家しているとはいえ、元皇族です。彼の兄弟には大覚寺統の亀山天皇と持明院統の後深草天皇がおわします。夢窓疎石は母方が執権の娘だったかもしれませんが、俗世の身分はそれに比べればはるかに低いわけです。『王法不思議、仏法と対峙す』と花園上皇に嘯いた宗峰妙超以上に過激な振る舞いですが、根は宗峰妙超と同じなのでしょう。仏法は王法を超越しているという認識からの物だと私は解釈してみます。
 もっとも、臨済禅の法義として『臨済打爺』というものがあります。臨済宗の宗祖臨済が修行中に師である黄檗に『お前の考えは間違っている!』と決めつけられた上で三度もどつかれまくったのですが、どつかれた臨済は『いいや間違ってやしない!』という信念のもと、師である黄檗に対してど突き返すわけですね。
 黄檗はそれを是として臨済に印可を与えました。要するにもっと自分の考えに自信を持てという教えを肉体言語でもって表現すると、そうなるわけですね。夢想礎石が実際に高峰顕日を殴ったかどうか、確認してはおりませんが、おそらくはそれは彼自身の茶目っ気だったろうと思います。

 それ以後、夢窓疎石は『ノマド』な時代に入ります。

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