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2013年7月18日 (木)

中漠:曹洞編②日本達磨宗

 禅宗の教えは基本的に師のもとで修行して、修行のレベルが一定以上に達したと、師が判断した時に、印可を授けます。禅僧は印可を受けて初めて一人前と認められる訳です。それには理由があって、禅において悟りの境地は書物を読んだだけでは至れないという発想があったのです。これを『不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)』と言います。おそらくはロジックだけでは説明できない感覚的なものがあるのでしょう。これを正しく修行した者が指導しないと、誤った方向に堕落してゆくと考えられていました。そういった誤った境地を野狐禅(やこぜん)と言うそうです。

 故に禅は独学で学べるものではないのですが、中国から流入する書物を研究して禅とはこのようなものではなかったか、独学で喝破した者がありました。名を大日坊能忍と言います。もとは延暦寺の学僧でしたが、摂津国水田に三宝寺を建てそこで禅宗の研究をした訳です。ただ、今言った観点から能忍の研究は最初から矛盾を孕んでいました。『不立文字・教外別伝』は達磨大師の言葉として言われているものでしたから、禅宗全般に共通するものだったようです。禅の師匠を持たない能忍が禅の教義を理解しているはずがない、という批判に晒されるのは止むを得ざるところでした。
 その状況を打開するために、能忍は練中、勝弁の二人の弟子を南宋に派遣し、自分の教学が正しいかどうかを育王の拙庵徳光に問い合わせたのです。1189年(文治五年)拙庵徳光は能忍への印可の証しとして達磨像、自讃頂相などを能忍の弟子たちに託したのです。拙庵徳光は臨済宗大慧派に属するので、能忍もその法脈にあると言ってよいのですが、日本においては彼の教学は達磨宗(日本達磨宗)と呼ばれております。
 栄西が南宋で虚庵懐敞より臨済宗の嗣法の印可を受けたのは、この二年後の1191年(建久二年)のことですので、能忍の教学は日本における禅宗の先駆であると言ってよいでしょう。ただし、能忍の嗣法の経緯に若干の問題があるところから、栄西も『興禅護国論』の中で能忍を「禅宗を妄称し祖語を曲解して破戒怠行にはしり、その坐禅は形ばかりである」と批判しております。栄西にしても、日本に禅を広めるに当たり、自分の教学の正統性を強調しておかなければならないという事情があったみたいです。

 この段階における興禅運動は能忍と栄西が担った訳ですが、新興の教学に対して比叡山延暦寺が攻撃を加えるのはお約束のようなものでした。1194年(建久五年)延暦寺は朝廷に働きかけて禅宗停止の綸旨を得ます。栄西はこの時の批判を上手くかわし、真言宗の印信を受けるなどして、顕密禅三教兼修を掲げながら、朝廷・幕府に接触して後の臨済宗興隆の種をまきましたが、能忍は攻撃の矢面に立ってしまい、大和国多武峰の妙楽寺に逃れたところで示寂しました。近年の研究においては事故死・病死の可能性が高いとされていますが、それ以前は平家の落ち武者である平景清による暗殺と伝えられておりました。
 妙楽寺の教学は能忍の弟子である仏地覚晏が継ぎますが、妙楽寺は1228年(安貞二年)に興福寺衆徒の焼き討ちにより多武峰を追われます。仏地覚晏の弟子である懐鑒は越前国一乗谷の波著寺に難を逃れました。
 丁度その頃、道元が曹洞宗の長翁如浄の教学を持ち帰っておりました。それに興味を示したのが懐鑒の弟弟子である孤雲懐弉でした。彼は当時建仁寺に滞在していた道元と宗論を交わしたそうです。論争は三日に及び、道元の教学に感銘を受けた孤雲懐弉は道元の弟子となることを決めます。
 彼が実際に入門したのは、道元が深草に興聖寺を建てた年の翌年1234年(文暦元年)です。この興聖寺も延暦寺の圧迫を受け、1244年(寛元二年)道元は波多野義重の斡旋で越前国志比庄の大佛寺(後の永平寺)に移ります。このタイミングで波著寺の懐鑒が道元に帰依し、波著寺の達磨宗教団は道元の教団に合流します。
 永平寺において、懐鑒は首座の地位を得、道元の死後永平寺を継いだのは、孤雲懐弉でした。そして永平寺三代目の住持となったのは懐鑒の達磨宗時代の弟子である義介でありますので、越前国における永平寺の活動は一乗谷の波著寺から転宗した人脈によって担われたと言っても過言ではないでしょう。道元は自らの教学を禅とも、曹洞宗とも呼ばなかったそうです。教団の宗旨をどうしても呼ばなければならない時には仏心宗と呼んでいました。道元の帰国後の活動が元達磨宗の僧たちの活動に多くを依存していたことによるのでしょう。

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