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2013年7月11日 (木)

中漠:臨済編⑬考察

 臨済宗の歴史を追ってきましたが、当初私が考えていた以上に、武家権力に密着している印象でした。栄西の頃はそうでもなかったのですが、蘭渓道隆が来日し、宋が滅亡して以後はそれが加速している印象です。この渡日僧たちは、禅と同時に日本にもたらしたものがあります。それは朱子学でした。一山一寧は禅と同時に朱子学の素養もあり、日本に伝えたとされます。彼は来日後一度、修善寺に隔離された後、許されて鎌倉の建長寺の住持になり、その後、後宇多上皇の招きで入洛し、南禅寺の住持となりました。その南禅寺が後に後醍醐天皇によって、五山の一つに序せられるわけです。
 朱子学の考え方から見て、日本の権力構造はかなり歪つなものに見えたのではないかと思います。朱子学は儒教から派生した学問で、人のあり方、社会のあり方を規定したものです。その前提になったものは皇帝と家臣、万民からなる中国の社会制度でした。中国の社会制度から見ると、日本のそれは特異です。京に天皇がいて、鎌倉に幕府があって、その実権は幕府が握っている。にもかかわらず、幕府は皇帝になろうとはしないわけですよね。しかも、その幕府の実権も幕府の長である征夷大将軍ではなく、将軍家の家宰に過ぎない執権が握っており、その執権も執権家の惣領である得宗には頭が上がりません。にもかかわらず、この得宗には皇帝になろうという意思がないのです。
 最初に臨済宗を日本にもたらした栄西は極めて日本人的な発想をもって、顕密兼修で禅宗との共存を図りました。興禅の志を持ちつつ、他宗をも修め真言僧の顔で、将軍家に近づきました。そして、その夫人である北条政子の庇護を得て、真言宗寺の中に禅宗の萌芽を植えつけたわけです。
 その後に来日した蘭渓道隆にとって、そんな日本の都合などは知ったことではありませんでした。彼には禅宗・禅寺はかくあるべしという明確なヴィジョンがあり、それにそぐわないものは次々と廃してゆきました。それが実現可能になったのは北条時頼という実質的な独裁者の権力が背景があったわけです。彼にとって『正しき禅』を知らない日本はフロンティアとして開拓されるべきマニフェスト・ディスティニィの地であったわけです。彼ら渡来僧は事あるごとに故国に帰りたがったとされていますが、実質妥協を引き出すための戦術であったと考えたほうがしっくり来ます。興禅運動は御家人である足利家などにも及び、かくして、鎌倉幕府の宗教地図は中国風禅宗に塗りつぶされたわけです。

 ここで一つの仮定をおいて、歴史を捉えてみます。宗教を変えるだけの力を持つ、臨済宗グループは、政治をも変えよう、中国風にしようと考えなかったか、という問い掛けです。

 もちろん、実質的に元軍を撃退するほどの実力を持ちながら、得宗は決して皇帝になろうとはしませんでした。元寇以降、得宗および北条一族は既存御家人層を圧してその勢力基盤を伸ばしました。しかし、鎌倉に新たに朝廷を作るなどとは露ほどにも考えていなかった。寧ろ、対立する二つの皇統を調停してその存続をはかることすらしていました。
 そこで次に考えられたことは天皇を皇帝にすることです。無論、発端は後醍醐天皇がそれを望んだことに始まるでしょう。しかし、その下地を整えたのは京の臨済宗の禅寺です。そのネットワークの末端に足利高氏と赤松円心がいたわけですね。しかし、後醍醐天皇の短兵急な革命運動は三年も持たずに瓦解します。宗峰妙超はこの瓦解の時期に示寂し、彼の大徳寺は五山からはずされるに至ります。
 日本の天皇を中国の皇帝のような絶対権力者にするということはどだい大きな無理があるということでしょう。一山一寧から禅を学んだ経験のある夢窓疎石は交易の利をもって足利兄弟に接近し、彼らの帰依を得ます。日本人である夢窓疎石は日本の最大の権力者はナンバーワンにはならないことを知っていました。南朝との妥協を探りつつ、天竜寺を建てたりしましたが、結局混迷を糺すには至りません。
 その後足利兄弟が喧嘩をし、ゴタゴタを繰り返すわけですが、この間、五山は室町幕府の官僚を輩出する機関となります。幕府将軍を支え、ブレインとなってその戦略面を支えたわけですね。その長となったのは足利義満でした。彼は勢力の大きくなりすぎた御家人たちを次々に粛清し、南朝も降伏させ、北朝系天皇をも圧迫させたわけです。室町幕府の官僚群は新たな皇帝を作ろうとしておりました。その試みは結局のところ、足利義満の突然の死によって頓挫するに至ります。その試みは足利義教にも引き継がれ、御家人統制のための諸施策を打ち出し、それに伴って室町幕府の官僚機構は後の江戸幕府のそれを凌駕するほどの完成度を持つに至るわけです。それを実現する下支えとして、五山の存在が大きかったと考えます。

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