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2013年7月30日 (火)

中漠:曹洞編⑦足利尾張守家

 人の運というものは、どう転ぶか判らないものです。これからお話しするのは、世が世なら幕府を開いていたかもしれない一族の話をしたいと思います。事の発端は、1203年(建仁三年)というと、二代将軍頼家の頃ですが、比企能員率いる比企一族が謀反を起こして滅ぼされてしまったところから始まります。比企能員は二代将軍頼家の外戚でした。それに北条義時が戦いを仕掛けて滅ぼしてしまったのです。
 北条義時の正妻も比企一族の出でしたが、その子、朝時は追討を免れます。しかし、三代目の将軍となった源実朝が比企氏の報復を恐れたのか、朝時をささいな口実で失脚させてしまいました。北条義時も朝時を廃嫡し、駿河で蟄居の目にあったのです。そして、側室腹の泰時が新たな嫡男に建てられました。母方の比企一族が滅ぼされていなければこんな目に遭うこともなかったでしょう。そうこうするうちに、実朝は暗殺されてしまいます。朝時はその後の和田討伐に武功を上げて鎌倉に復帰できましたが、次期執権の地位は泰時から取り戻すことはできませんでした。
 泰時は朝時に負い目を持っていたのか、厚遇をもってこれに応えました。朝時の家系は名越流と名乗ることになり、北条一門衆の中では宗家に次いで家格の高い一家として認められます。朝時は表面上は大人しくしておりました。有力御家人である足利泰氏に自分の娘を嫁がせていますが、家格相応と見てよいでしょう。ところが、晩年近くになって泰時も孫娘を足利泰氏に嫁がせるのですね。その頃名越氏との設けた子供はすくすくと育っており、将来を嘱望されていたことは間違いのないところだったのですが、ここは北条宗家から迎えた妻の方を正妻としました。北条一門内で目に見えぬ暗闘が始あったのでしょう。正妻との子は1240年(仁治元年)に誕生します。のちの足利頼氏です。

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 しかし、北条泰時と前後して名越朝時も亡くなり、彼らがその結果を見ることはありませんでした。それが炸裂するのはその直後です。名越朝時の死の翌年に将軍九条頼経が将軍職を降ろされます。新たに執権となった北条経時との関係悪化によるものです。執権は将軍よりも強いことがあからさまに示されてしまった為、朝時の息子、光時の代になると不満は表面化することになります。将軍を交代させた北条経時は二十三歳の若さで死去します。前将軍九条頼経は北条宗家に対する不満分子を糾合して蜂起を試みます。名越光時はこれに加わりました。もし、この企てが成功していたら、足利家は北条宗家からの正妻の子である頼氏ではなく、名越氏との子を正嫡にしたかもしれません。
 しかし、歴史の女神は北条宗家に微笑を与えます。執権職を継いだばかりの二十一歳の北条時頼が先手を打ちました。鎌倉に兵を動員して戒厳令を敷いたのです。身動きが取れなくなった名越光時は降伏せざるを得ませんでした。光時は流刑に処せられ、前将軍九条頼経は京に追放となりました。
 変わるはずだった運命は結局変わらず、足利泰氏と名越氏との間の子供は庶流としての人生を歩むことになります。その子供は元服して家氏と名乗ります。北条宗家も足利泰氏もこの家氏に対しては負い目を持っていました。家氏は別家を立てなければなりませんでしたが、足利の名乗りは許されていました。宗家と区別する為に足利尾張守家という言い方をします。名越流がそうだったように足利尾張守家は足利一門内の有力家となりました。名越氏の轍を踏むまいと、積極的に宗家を助けたわけです。宗家の方も遠慮をしたのか、足利頼氏は歴代足利家当主には珍しく、北条家から妻を取っていません。一方の家氏の方は北条時頼の姪を妻にしております。また、北条との間に生まれた嫡男に『宗家(むねいえ)』と名づけています。無論、「我が血筋こそ足利宗家(そうけ)、一門の惣領である」などという意味ではなく、『宗』の字は時の執権北条時宗の偏諱だったのでしょう。家氏は家時の後見人として尽くしたことも事実だったかと思われます。しかし、きっと頼氏・家時親子にとってはいたたまれなかったに違いありません。

 後年、家時の孫の足利尊氏が鎌倉幕府と後醍醐天皇の官軍を破って足利幕府を打ち立てます。足利尾張守家の高経は一門衆として宗家の日本制覇の為に力を尽くします。最終的に幕府執事職を勧められた時、彼はこう答えたといいます。『執事というのは高一族のような足利宗家の家人や上杉氏のような外戚が務めるべき職で、宗家と同格である当家が務めるべき役職ではない』。
 すったもんだの交渉の末、執事職には彼自身ではなく、四男の義将がつき、高経本人はその後見で幕府の実権を握るという形で落ち着きました。
 このプライドの高い足利尾張守家は後に家氏が領した土地の名前から、斯波家と呼ばれるようになります。
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