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2013年8月 6日 (火)

中漠:曹洞編⑩今川家の宗旨報告書Ⅰ(今川範国~今川範忠)

 駿河に拠点を移して以降、駿河守護今川家の歴代当主はそれぞれが自分用の菩提寺を持っております。しかも、下記に示すように曹洞宗と臨済宗が入り混じっております。本稿ではその事情を考察し、もって宗旨報告としたいと思います。

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 今川範国が亡くなったのは1384年(至徳元年)です。彼は駿河と遠江守護を兼ねましたが、それ以前は遠江に拠点を持っておりました。戒名を定光寺悟庵心省といい、定光寺という寺を菩提寺にしております。それに該当しそうな寺院は、袋井市横川の常光寺、掛川市前野の定光寺とふたつあります。いずれも、曹洞宗の寺院で、そこに範国が葬られていたという伝があるのです。どちらかを範国の菩提寺と比定しても良さそうに思えます。但し、遠江国に曹洞宗が入ってくるのは応永年間(1394-1427年)の頃です。範国の孫である泰範の代にあたります。よって、この『定光寺』は後になって曹洞宗に改宗したものと考えられます。
 彼の子である範氏は駿河・遠江国境にある島田市大草に慶寿寺に葬られております。ここの宗旨が真言宗ですので、定光寺のもともとの宗旨もまた真言宗であったと考えても差しつかえないかと思います。源頼朝の一族がもともと真言宗でありましたし、足利宗家も鑁阿寺という真言宗の菩提寺を持っております。

 この範氏の弟が九州王の今川貞世でした。彼は管領細川頼之に見出されて九州を平定したのですが、管領細川頼之の失脚後、遠江半国守護に押し込められ、あまつさえ謀反の疑いまでかけられた上に引退を余儀なくされました。1411年(応永十八年)、失意の彼が領地の堀越(現在の静岡県袋井市)に建てたのが海蔵寺。曹洞宗の寺です。その頃には今川家は遠江国守護の座を斯波義重に明け渡しておりました。貞世は斯波家支配下の遠江国に逼塞して生涯を閉じ、海蔵寺に葬られました。

 この頃、九州に展開していた曹洞宗寒厳義尹派の法脈を継ぐ華蔵義曇が吉良氏の為に遠江国随縁山(現在の浜松市浜北区寺島)に普済寺を建てております。吉良家は今川家の本家筋にあたります。足利一門の中でも屈指の家格の高さを誇っており、鎌倉幕府体制において臨済宗の実相寺を菩提寺として持っておりました。開基は円璽です。しかし、鎌倉時代にあっては霜月騒動に巻き込まれ、南北朝期の観応の擾乱にあっては直義派に与して引き際を誤り家勢を小さくする結果となっております。吉良氏は遠江国に引間荘(現在の浜松市)という領地を持っていました。もともとは霜月騒動の折に戦功を立てた今川国氏に与えられたものだったのですが、南北朝期には吉良氏の領地になっております。その頃までには今川宗家は駿河・遠江守護を任じられておりますから、引間荘は吉良氏に譲られたものとして理解して良さそうです。

 この普済寺は後に今川氏の援助によって、1432年(永享 四年)に随縁山から広沢山に寺基を移します。華蔵義曇はここを拠点に東海一円の寒厳・華蔵流拡大を図ったわけです。少し想像を逞しくしてみます。吉良氏は今川氏と同族でした。吉良氏と九州にいた華蔵義曇との接点を考えるならば、それは九州探題を務めた今川貞世にあったのではないかと思うのです。海蔵寺の『蔵』の字は華蔵義曇の法号からきているのかもしれません。海蔵=『かいぞう』、華蔵=『かぞう』と音も似ております。

 駿河守護として生涯を終えた今川泰範は長慶寺という臨済宗寺院を現在の藤枝市下之郷に建てます。ここはもともと臨済宗ではありませんでした。臨済宗に改宗させたのは、今川義元の側近、太原崇孚でずっと後年に下ってからです。よって、もともとは真言宗寺院であったと考えても差しつかえはなさそうです。彼は今川範氏の次男でした。氏家という名の長男がおり、泰範は出家させられておりました。氏家が早世した為に、還俗して跡を継いだわけです。それまでは鎌倉五山の一角をなす建長寺で僧としての生活をいとなんでおりました。彼の代において遠江国守護職は斯波氏に移ってしまった為、彼の菩提寺は駿河国藤枝にあります。
 但し、今川氏は範国の代から駿河守護だったわけですが、だからといって支配力が駿河国全域に及んでいたわけではありませんでした。せいぜいが、西部地域の島田、葉梨あたりにとどまっていたのです。今川家が実力で駿河国全域を制圧したのは、次代の範政になってからです。

 義元に至るまで、基本的には駿府の大岩の地に葬られることになります。宗旨は臨済宗です。ただ、正確なところはわかりません。義元の代において、臨済宗妙心寺派の太原崇孚が藤枝の長慶寺にやったような寺社の整備を行ったからです。それでも若干の例外はありました。次項からは、その若干の例外の対象となった今川氏親を中心に今川義元まで見てまいりたいと思います。

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