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2013年11月23日 (土)

中漠:法華編⑥天台教学の純化

 立正安国論には、禅や念仏などの『新興宗教』を何とかしないと外国の侵略を受けるぞ、と脅す文面があったのは事実です。もっとも幕府は禅や念仏をどうにかするより、騒然とした世情や次第にキナ臭くなってくる海外動静を何とかすることにばかり目が行っており、日蓮の主張をまともに取り合わなかったわけですが、結果として日蓮の主張は一部ではありますが、的中しました。
 1268年(文永五年)高麗国からの使者がモンゴル帝国の国書を携えて来日します。修好を求めたものではありましたが、断ればただではすまないことは自明の理でしょう。日蓮はこれを自らの予言の成就として喧伝し、今からでも遅くないから禅や念仏を弾圧すべしと主張を始めます。しかし、モンゴル帝国は日本国が禅や念仏を保護しているから攻めて来るわけではないので、鎌倉幕府は軍事的防備の方を優先します。
 1271年(文永八年)日蓮は他宗の僧侶に論争を挑んで挑発しますが、それが蒙古侵略前の騒然とした人々の心を刺激しました。やむを得ず、幕府は日蓮を佐渡に流します。その途中で面倒だと思われたのか、死罪にされかけるのですが奇跡が起こって助かったという事件も起こっております。

 立正安国論の中に、法華経を重んじなければ外国の侵略を受けるだろうなどという言辞がなぜ入ったのでしょう。想像するに日蓮が本当に超能力だったり、より現実的には天台宗のネットワークを持っていたり、あるいはひょっとしたら南宋から来朝した禅僧達と対話をしたのかもしれません。
 しかし、文脈を判断するにこれはどうも仏典の引用によるレトリックに過ぎないようです。法華経をないがしろにすると、聖人は国を去り、その後に七難が襲ってくると仁王経という経典に書かれているとし、その七難の内容として、薬師経という別の経典の記述を引いているのです。
 すなわち、人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難と言います。それぞれ、疫病の蔓延、外国からの侵略、星の運行の変化、日蝕や月蝕の発生、風雨の害、旱魃の害を言います。つまり、他国侵逼の難は他の六つの災厄とパッケージされたものなのですね。だから、日蓮は比叡山や清澄寺で学んだ仏典の知識を披歴したに過ぎなかったようにみえます。
 これらの難の中には日蓮が立正安国論を記した時点で実現したもの(人衆疾疫の難、非時風雨の難)もあれば、立正安国論記述後、ずっと後にならないと起こらなかったものもあるのです。よって、厳密に言うならば、立正安国論は『蒙古の襲来を予言』したわけではなく、モンゴル帝国の脅威は『他国侵逼の難』であると読み解いたのです。

 法華経を信じさせようとする余りに世情を煽った日蓮だけが悪いわけではないでしょうが、社会不安は増大しており、鎌倉幕府はやむを得ず、日蓮を佐渡に流します。ここはかつて親鸞が流されたところでもありますね。配流先で日蓮は自らの宗教観を深化させ、彼の思想の大本となった天台宗とはやや異なる独自の宗派を作り上げるに至ります。それが法華宗(日蓮宗)でした。例えば、法華経を最高のものとするところは、天台宗と同じですが、法華宗においては南無妙法蓮華経(私はこの素晴らしい法を説いた蓮華経に帰依します)という題目を唱えることで、仏性を目覚めさせることができると説いたのです。このあたりは称名念仏の影響を受けているのではないかと思われます。称名念仏は南無阿弥陀仏(私は阿弥陀仏に帰依します)と念仏を唱えることです。もともと浄土宗のカウンター勢力として現れた日蓮は題目唱和で称名念仏に対抗したのでした。称名念仏が世の中に受け入れられた理由はお金をかけず、身分を問わずに簡単に実践できることにありました。延暦寺は法華経を重視していることは確かですが、法華経に書かれていることを実践しないと仏性は目覚めないという発想から、修行プログラムが組まれていました。当然、金と時間が必要になります。実践するにはある程度の財と身分と時間がないとできません。
 そこを日蓮は南無妙法蓮華経という題目を唱えることから始めようと説いたのです。仏性の目覚めはそこから起きるとしたのですね。日蓮はもとより念仏を唱えることは無間地獄に陥る所業だと見なしています。題目唱和により仏性を目覚めさせることが、解脱に至る唯一の道であるとしたのです。これにより、浄土宗系宗派がターゲットとしていた地方武士・商人・農民層に対して念仏『南無阿弥陀仏』のカウンターとして法華経の題目『南無妙法蓮華経』をアピールすることができるようになりました。日蓮はこの教えによって関東で多数の支持者を得るに至ります。

 もうひとつは過激な折伏です。折伏とは他宗派の信者に宗論を挑み、法華経に帰依させることです。日蓮が折伏のために用いたロジックは比叡山延暦寺仕込みの精緻なものでした。それを端的に述べたのが四箇の格言です。すなわち、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊というものです。それぞれに浄土系宗派、禅宗、真言宗、律宗に対する批判であり、それなりの根拠のついた主張です。おそらくは延暦寺の学僧達の中で練りこまれた他宗派対策だったのではないかと思われます。親鸞は著書である歎異抄において『法然上人であれば、騙されて地獄に落ちたとしても後悔はしない』という言葉を遺しています。親鸞には叡山の僧侶の誰かに宗論を挑まれて追い込まれた経験もあったのではないかとうかがえます。それほどまでに、比叡山延暦寺の学問は分厚いものでした。
 但し、題目唱和で仏性が目覚めるとは、日蓮によるオリジナル要素です。日蓮は念仏に対抗して、衆目を仏教が本来重んずべき法華経に向けるために情熱を注いだ結果、自らが学んだ天台宗とも違う独自の境地にたどり着いたのでした。

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