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2013年11月16日 (土)

中漠:法華編③依って立つところの法華経

 天台教学がもっとも重んじたのが妙法蓮華経、すなわち法華経です。素人解釈で恐縮なのですが、法華経の内容はどんなものなのかを本稿で講じたいと思います。

 まず、大前提として、法華経に限らず、仏典(いわゆるお経)と呼ばれるものは仏教の教祖である仏陀が著述したものではありません。仏陀が開いた原始仏教教団の中で、仏陀の教えとして伝えられたものが教団の中で取捨選択、編集されて書かれたものです。そして、後世において、仏典を研究する過程で得られた真理を仏陀の行いに仮託して新たな仏典が書かれたこともありました。そこには地域的な習俗も取り入れられたりしております。例えば、われわれ日本人は毎年八月十五日にお盆の供養を行いますが、その元になった盂蘭盆会は仏陀の時代はもちろん、インドにおいて執り行われたことはありません。仏教が日本に伝来する過程で中国の習俗が仏典の中に紛れ込んで始まったものだそうです。

 阿弥陀仏に帰依する浄土教もインドが発祥ではありますが、仏陀の教えという世界観を借りた新たなる物語に近いものです。浄土教の特徴は仏陀の教えには耐用年数があると考え、耐用期限の切れた仏陀に代わって、阿弥陀如来が後世の衆生を救うというものです。浄土教が編まれた時代においても、既に異なる観点から様々な仏典が編まれておりました。そして仏典のそれぞれの教えに矛盾が生じるようになっておりました。時代が下るにつれてその時代の価値観に応じた新たな仏典が編まれてしまうため、オリジナルの仏陀の思想は未来においては消失してしまうと考えたなら、その発想はあながち間違いでもないでしょう。
 但し、その考え方は仏教教団自身の存続を脅かすものでした。妙法蓮華経は仏陀その人が編纂したものではないものの、仏陀の衣鉢を継ぐ仏教教団の中で育まれてきた教えの集大成です。
 仏典相互の矛盾は仏教教団においても、大きな問題として捉えられておりました。そして、浄土教が出来上がる以前にその正統性を担保する解を用意していたのです。それが方便と久遠実成です。

 方便とは現代語にある『嘘も方便』の方便のことです。現代語においては嘘も場合によっては許されるという意味あいですが、仏教用語である方便は微妙にニュアンスが異なります。
 簡潔にいえば、方便とは悟りへの至り方という意味です。仏陀の至った境地に至るにはどのようにすればよいのか、それを探求するのが仏教教団の仕事でした。
 真理に至る道筋は一つではあるものの、それを理解するレベルに達するための工程は様々ある。仏性という悟りに至るための素養がなければ、唯一の真理を前にしても役に立たないということだそうです。
 仏典相互の矛盾の発生原因は、真理を説く前段階として、相手の理解力に見合った手段がとられた結果にある。それが方便であるということなのですね。

 方便については以上の説明でご理解いただけたと思いますが、では仏教徒が方便で仏性をよびさまされた衆生が帰依すべき真理は方便の中に埋もれてしまうのではないかという疑問がわきます。それに対する回答が久遠実成なのです。
 仏陀が悟りを開いたのは紀元前五世紀あたりのインドにおいてではなく、それよりもはるか昔(久遠)に悟りを得(実成)ており、釈迦牟尼は仏陀が輪廻転生を重ねた生まれ変わりの一人であるという考え方なのですね。これが意味することは、悟りは時空を超越しているということです。この論に立つならば、仏陀の教えに耐用年数があると考えるのは誤りということになります。まず第一に悟りを得たのは紀元前五世紀の仏陀だけではないということ。久遠の昔から紀元前五世紀の期間を経ても同じ悟りに至れるということなのです。そして、明日のあなたのすぐ隣に、悟りを得た仏陀が現れてもそれは何の不思議もないことになるのですね。すなわち、天台教学でいうところの仏陀が得たという悟りの境地は永遠のもの、時間を超越したものなのです。

 そのことを説いたのが法華経であるそうです。法華経で用いられているレトリックは仏陀とその弟子達、菩薩や神々が現れて種々の説話を語らいながら仏を正しく信じる人々の救済を約束する物語です。般若心経が比較的短い文章の中で色即是空などの抽象的概念を語っていることに比べて、大部の中で仏陀や神々が魂の救済を約束する物語を綴る法華経は、読みようによってはお経というよりは、壮大な世界観を備えた伝奇小説であるかのようにも感じられます。法華経は人は誰でも仏性を持つ。それを輪廻の繰り返しの中で育ててゆけば、悟りへと至れると約束しております。

 その観点からすると、仏陀による救済をもはやあり得ないことを前提とする阿弥陀信仰は相容れないものということになってしまうわけなのですね。比叡山延暦寺はこの法華経を中心に据えて、密教や禅、戒律の研究を併行しておりました。阿弥陀信仰の元となる経典はインド仏教から大乗仏教が派生する過程で、法華経の成立からそう遠くない時点で成立したものです。例えば中国に漢訳仏典を翻訳移入した鳩摩羅什は法華経の漢訳を行いましたが、同時に仏説阿弥陀経という阿弥陀信仰の経典も漢訳していたのです。日本においては中国からそれらの教えが同時並行的に移入されました。流入する漢訳仏典の中から阿弥陀信仰は西方浄土を模したといわれる平等院鳳凰堂や、空也・源信が阿弥陀による救済を説くなどの影響をもたらし、法然が従来型の聖道門とは別の浄土門を説く浄土宗を開く形に結実しました。空也・源信・法然はいずれも延暦寺で学んだ僧だったのですね。
 その説は法華経を最高とする比叡山延暦寺の学問ヒエラルキーを脅かすものであると考えられました。浄土宗は比叡山発祥ではありますが、これを最初に弾圧したのも、比叡山であったわけです。
 比叡山で学んだ日蓮もまた、その中の一人でありました。

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