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2013年12月12日 (木)

中漠:法華編⑭正平一統

 この新体制は半年ももちませんでした。突然、播磨の赤松則祐(円心の息子)と近江の佐々木導誉が挙兵します。直義が対策を講じる前に足利尊氏と義詮親子がそれぞれ播磨と近江に勝手に出陣してしまいました。どちらも足利一門ではなく、足利尊氏と気脈を通じていた梟雄たちです。狙いは京都を東西から挟撃することにありました。それを察した直義は京を脱出して北国に逃れます。都には光巌上皇と崇光天皇が置き去りにされていました。一応延暦寺に避難する申し出はしたようですが、断られたようです。

 途上、近江で一戦を経たのち、足利尊氏は京に入ります。ここで尊氏は妙顕寺に対する乱暴狼藉への禁制をだしております。ということは実際に乱暴狼藉があったもしくは、起りそうな状況を尊氏が封じる挙にでたということでもあります。その真意はその翌月の尊氏の行動をみれば察することができるでしょう。足利尊氏は南朝に降伏したのです。足利直義が南朝に降伏した時点で上杉重能は既に亡くなっております。養子の能憲は関東を根拠地にしており、高師直暗殺を主導しましたが、当時は若干十八歳にして京にいた期間はわずか半年余りです。なので足利直義に本国寺に斟酌することはなかったと思われます。本国寺に何かの役割を期待しているのなら、そもそも京都を退転することもなかったでしょう。本国寺については1345年(貞和元年)に広大な寺地を光巌上皇から賜って以来、応安年間に二条某から妙顕寺住持に対して、妙顕寺に並ぶ威勢をもつ法華宗寺院として本国寺があげられるまで、詳しい動向は拾えておりません。
 妙顕寺住持妙実を南朝の貴人に連なる人物としてみた場合、足利尊氏が妙顕寺への乱入狼藉を禁じたことは、別な政治的意味をもっているように思われます。すなわち、その翌月の九月二十二日に足利尊氏は南朝に降伏したのです。先に直義が南朝へは降伏しておりますが、直義は高師直を討った後、事実上この降伏を棚上げしてしまっております。それを逆手に取った戦術でした。

 もちろん、南朝から見れば弟が破った約定を兄がまた破らない保証はないのですから、当然直義が降伏した時よりも条件をつり上げるでしょうし、交渉は難航したことでしょう。足利尊氏は自分が持っている南朝人脈を総動員してこの交渉にあたったのではないでしょうか。だとすれば、妙顕寺への保護と引き換えに妙実もまたこの交渉に駆り出された可能性はあったのではないかと思います。その他の南朝人脈だと南禅寺の夢窓疎石がいますが、尊氏の南朝降伏直前の九月三十日に示寂しております。そもそも兄弟そろってこの師父に帰依してますから元気だったとしてもどちらかの為に動けたとは考えにくい。一方の妙顕寺は足利直義、上杉重能らが後ろ盾になった本国寺とは先代の因縁もあってライバル関係にありましたから、そうした申し出があれば、断る理由も希薄だったのではないでしょうか。

 1351年(観応二年)十月、尊氏の降伏交渉はまとまり、北朝で使っていた観応の年号は廃されて観応二年は正平六年となります。事実上北朝は廃されて南朝が正統な日本国の君主となります。これを称して正平一統といいます。翌十一月には北朝の崇光天皇が退位し、一天二日の異常事態たる南北朝は一旦休止します。持明院統としてはたまったものではありませんが。直義降伏の時とは違い、今度は南朝も各地に挙兵を促しています。また尊氏には北朝の廃止をさせています。尊氏としてはそこまで妥協しても直義を倒すことを優先させました。観応の擾乱までは色々ブレのある人物でしたが、観応の擾乱以後足利尊氏はほとんどブレなくなりました。逆境が尊氏の人格を変えたのかもしれません。それが足利幕府の真の始まりであり、曲がりなりにも十五代の継続させた原動力となったのでしょう。
 足利直義は北陸で敗れ、鎌倉に逃げ込みましたがその直後に尊氏自らが鎌倉に追撃に向かい捕虜にしました。直義は寺に押し込められますが間もなく毒殺されます。その日は奇しくも高師直の一周忌にあたりました。尊氏の報復であったと思われます。足利直義を中心として反高師直で結束した足利一門衆グループは一度ここで瓦解するのですが、事態はさらに動転します。尊氏の直義討伐の留守を狙って南朝軍が義詮の守る京都に攻め込んできたのでした。

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