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2014年1月23日 (木)

中漠:洛中幕府編Ⅰ⑩バタフライ・エフェクトⅡ

 高師直がバサラ大名として非難にさらされている内容の多くは事実無根なものです。それにもかかわらず、四条畷の戦いの後、高師直は足利直義派の論難によって執事罷免に至ってしまいます。それは、彼の幕府内での果たした役割に大きくかかわっておりました。
 彼は足利尊氏の執事です。尊氏は自らの役割の多くを直義に譲って政務を見させておりましたが、軍権のみは手放さず、高師直に任せておりました。高師直も有能な人物で、与えられた軍権を有効に使って足利尊氏の武功を演出していったわけです。但し、彼は足利の一門衆ではありませんでした。高階氏の出身で平安時代に源義家が関東に下向した折に、それに付き従って仕えた一族の末裔でした。故に、執事という役職にあっても、一門衆の序列の外に位置付けられていたわけです。それでも足利尊氏が鎌倉幕府の御家人や、後醍醐天皇に仕えていた時代は足利家の家政のみを見ていればよかったのでその分楽ではありました。
 しかし、足利尊氏が征夷大将軍となり、武門の棟梁としての役割を果たしだすとそれだけでは済まなくなります。すなわち、武門の棟梁が率いるのは足利一門だけではないということです。足利一門衆は北条家滅亡後最大の武士団勢力となりましたが、それでも一門衆のみで日本国の武力を擁することは不可能です。他家の兵を動員し、指揮・監督する役目を果たす必要がでてきたのです。足利尊氏はその役目を高師直に負わせました。
 高師直の役目に対して、おそらくではありますが足利一門衆はあまり協力的ではなかったと思われます。足利一門衆の序列に別家が入ってくるということだからです。同時に高師直の高家は代々足利家総領に仕える執事の家柄ではありましたが、足利一門ではありません。尊氏の代行とはいえ、その命令に従って他家の隷下に入ることは流石に抵抗があったのではないでしょうか。故に、高師直は足利一門以外の畿内の武家に接触するようになります。赤松円心や佐々木導誉、土岐頼遠などですね。それでも普段の軍務は一門衆が主として担っており、一門衆の働きも目覚ましかったので、それほどの問題は起きませんでした。但し、楠木正行が挙兵するまではです。

 楠木正行の挙兵に対して、当初和泉国守護の細川顕氏ら一門衆を差し向けていたのですが、これが敗れたために主力を投入せざるを得なくなったわけです。楠木正行の挙兵を期に、南朝は吉野を喪うことになったわけですが、これに付随して高師直は四条畷での楠木正行との戦いに勝利することによって、大きな発言権を得ることに成功しました。そして、それは足利直義にとっては大変不都合なことだったのです。
 四条畷の戦いの翌年、足利直義は自ら養子にしていた足利直冬を長門探題につけます。この動きが足利家執事として徹してきた高師直が足利直義の職分である政務に巻き込まれざるを得なくなってしまうのですね。

 長門探題というのは元々守護しかいなかった長門国に対元防衛拠点として設けられた、軍事を含む強力権限を持つ出先機関です。しかも、鎌倉時代における実運用においてはその権限は長門一国にとどまらず、隣国周防国をはじめとする中国地方全域に及んでおりました。長門国は筑前国博多とは指呼の間にあります。博多は対元貿易の入り口でありかつ、一門衆である一色範氏・仁木義長がいて、肥後国隈府城にいる南朝方の鎮西将軍懐良親王勢に睨みをきかせていた場所でもありました。そういう意味で足利家のプリンスである足利直冬は中国地方の統括者としてふさわしい人物であると言えるでしょう。
 但し、それでは困ると考える者もいました。この中国地方の領域には塩谷高貞粛清後、佐々木導誉が守護職を得た出雲国、後醍醐天皇による恩賞が不服で足利方に寝返ることで赤松円心が守護職を獲得した播磨国が含まれていました。この両人はいずれも、高師直とは昵懇の間柄だったのです。

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