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2014年3月 4日 (火)

中漠:洛中幕府編Ⅱ⑦玄恵は何でも知っているⅢ

 建武式目の八名の内の公家衆は皆、鎌倉の足利家とのつながりがあったと小木曽千代子氏が『玄恵法印の研究』という著書の中で考察されております。それに加えて、玄恵も同様ではなかったかと推論を進めておられました。
 足利直義は建武政権下で鎌倉府執権として成良親王の鎌倉府を支えていたので、その時に彼の存在は把握していたのかもしれません。中先代の乱の折に足利尊氏も数ヶ月間鎌倉に滞在していましたが、越前の局の子についてはガン無視していたようで、記録に残っておりません。
 足利直義に仕えていた玄恵が新熊野丸をまず、直義に紹介したのは、鎌倉府執権時代か、中先代の乱鎮圧時に足利直義が彼の存在を把握しており、そのことを玄恵にも伝えていたからかもしれません。
尊氏はこの子を認知せず、すったもんだの末に弟直義の養子として落ち着くことになりました。そして直義の元で元服して直冬と名乗ることになります。足利一門は一門衆こそ精強でしたが、尊氏、義詮父子を支える連枝と呼べる存在は、直義とまだ五歳の基氏だけでした。直義には自らの後継者もいませんでしたので、渡りに船だったことは確かでしょう。

 この時の足利直義は絶頂でした。楠木正行が討ち取られた後、紀州討伐軍が催されその大将に足利直冬をつけます。この時、二十一歳で年齢的にはありえなくはないのですが、この頃の直冬は実戦経験もなければ足利一門としての教育も三年程度しか施されていない促成栽培でした。おそらく、中国地方の経営についての戦略が楠木正行の活躍で遅れをきたしたために、それを取り戻すべくの策であったことでしょう。紀州遠征は一応の成功をみて、直冬は凱旋します。そして、その翌年に長門探題としての赴任を命ぜられるわけです。長門探題は八ヶ国の成敗権を持つ強大な組織であったことから、1349年(貞和五年)八月、高師直は当地の守護達の指示を集めてクーデターを成功させます。直義の油断というか、性急に過ぎた政策スケジュールが最大の原因だったと私は評価します。これをもって直義の内閣は崩壊しました。武家の側近の上杉重能と畠山直宗は流罪の上で殺害され、太平記で妙吉※に擬せられていた大同妙喆や古先印元らは鎌倉に逃亡し、直義は主たるブレーンを失ってしまったのです(※園太暦、師守記に妙吉に関する記述はあるそうでどうやら実在したらしいです)

 十二月に直義本人も出家を余儀なくされてしまいます。その時に彼が選んだ法号が『恵源』というものでした。見方によっては玄恵の法号をひっくり返して、玄の字を直義の出自である源氏の源の字と入れ替えたものと判じることも可能です。自分でもこれは突飛な発想であると思うのですが、この後に恵源と玄恵のとの関わりを示す史料が残っております。直義出家の翌年、1350年(観応元年)三月二日に玄恵法印が入寂します。享年七十二歳なのですから、十二分に長生きなのですが、なぜこのタイミングかと考えると粛清の可能性が皆無とは言えないでしょう。奇しくもその前月の一月十一日に赤松円心が亡くなっていたりもします。円心は直冬討伐の為の軍編成の最中の死去でした。
 直義は出家隠遁中にもかかわらず、入寂した玄恵の為に追善詩集の出版の発起人となります。それが1350年(観応元年)四月下旬に編まれた『玄恵法印追善詩歌』です。玄恵は僧であり、儒者であると同時に、詩人でもあったのですね。そして、その半年後に足利直義は京を脱出して南朝に投降し、直義派武将たちを率いて兄尊氏と高師直に対して反撃に出るのです。その行動は儒教的な倫理観、仁義を欠くものでした。玄恵の死はそのきっかけとしてとらえるべきものであるのかもしれません。

 玄恵は一般に天台の学僧と言われていますが、実は延暦寺の僧籍に彼の名はないそうです。それでも、たとえば花園天皇宸記という花園天皇の日記には僧都と書かれており、僧形であったことは確かです。彼が天台学僧と言われるのは先に述べた通り、幕府が延暦寺を潰そうとした時に、玄恵が延暦寺の由来を説明し、神格の高い延暦寺を潰してはならないことを力説した、と太平記に書かれているためであろうかと私は思います。そして、太平記においては、玄恵は足利尊氏・直義兄弟が比叡山を許すことこそ、徳を積むことになるのだと、王道を進むことを勧めております。そう、建武式目と同様に太平記もまた朱子学の影響を受けているわけです。

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