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2014年3月 1日 (土)

中漠:洛中幕府編Ⅱ⑥玄恵は何でも知っているⅡ

 さて、ここまで玄恵の半生を追いつつこの時代における儒学の片鱗を述べ立てたわけですが、建武式目と同じくこの時代の日本における儒学に強い影響を受けた文学作品があります。それが太平記です。足利直義が政権を担った1340年代にはその祖形のものができていた、と今川了俊が記した難太平記に記されています。難太平記といっても、別段太平記を非難する為に書かれた書物ではありません。どちらかというと、江戸期に大久保彦左衛門が書いた三河物語の祖形というべきもので、作者である今川了俊が子孫たちの為に、自らの家柄及び武功と主家である足利家との関係を記して子孫たちに瀬名今川家(了俊の家系)担う者の心得を述べたものです。その目的とは別に、同書に太平記を難じた個所があった為に難太平記と呼びならわされるようになったものです。
 1340年代は今川了俊は十代から二十代の間で、その頃の今川家の当主は了俊の父の範国でした。太平記の批判はその範国が語ったものとして書かれており、そこにも玄恵が登場します。
 これによると、法勝寺(天台宗系)の恵鎮が太平記三十巻本を等持寺にいる足利直義に見せに来て、それをその当時直義の元で働いていた玄恵に読み語らせた所、直義はその内容に誤りが多いことを歎じて修正を命じたという内容が記されているのです。現存太平記は四十巻本であり、三代将軍足利義満の初期治世まで語っています。当の巻三十には足利直義本人の死が談ぜられているので、1340年代の三十巻本の章立ては現代の四十巻本とは異なることがわかります。では、三十巻本にはどこまでの記録がされていたか。それは言うまでもなく、後醍醐天皇の崩御であったと断言できます。これは文学者、歴史学者の定説といってよいでしょう。現代に残された四十巻本太平記は前半と後半に分かれていて、前半部は後醍醐天皇の治世の始まりから書き記されて、後醍醐天皇の崩御で終わるのです。後半部は南朝の大立て者たちが妖怪化して復活し、現世を混沌の坩堝に陥れる展開で、滅びし者どもの恨みを晴らす挽歌的な色合いの物語となっているのです。
 前半部分は有徳の後醍醐天皇が、欠徳の北条高時を滅ぼしたものの、驕った為に失徳し、「玉骨ハ縦南山ノ苔ニ埋マルトモ、魂魄ハ常ニ北闕ノ天ヲ望マン」と恨みをのんで身を滅ぼす過程を描いた物語です。この物語においては、王者を王者たらしめるのは血統ではなく、ただ有徳であることが重要だったのです。この徳治論はまさしく朱子学の名分論のロジックにのっとったものなのですね。
 この時期、足利直義は天龍寺を建てて後醍醐天皇の死をどのように飾ろうかと思案をしていた所でした。恵鎮が持ち込み、玄恵が読んだ太平記に足利直義は不満をもらし、改稿を命じました。故に、現存する太平記の前半部分は足利直義の意を汲んだものであったと私は見ます。その主人公は後醍醐天皇であり、徳治と滅びに彩られた物語でありました。

 1345年(貞和元年)八月二十九日、後醍醐天皇七回忌法要にあわせ、天龍寺落慶供養が営まれました。佐々木導誉を使って叡山の反発を押さえつけました。その同じ年に、一つの事件が起きます。足利尊氏の隠し子が上京してきたのでした。名を新熊野丸(いまくまのまる)といいます。
 彼の母は越前の局という名前が伝えられておりますが、身分が低い人物であるということ以外は何もわかっておりません。彼が生まれたのは1327年(嘉暦二年)と推定されておりますが、その頃足利高氏(尊氏)は鎌倉におり、また、越前の局との関係も夫婦でも、内縁関係でもなく行きずりのことであったそうです。故に、高氏(尊氏)は生まれた子供の認知もしませんでした。その結果、鎌倉の東勝寺に喝食として養われることになりました。東勝寺は北条泰時が建てた北条一門の菩提寺です。縁もゆかりもない人間がそうそう入ることは叶わないでしょうから、この寺にはそのような事情のある子が引き取られていたのではないでしょうか。その子が六歳の頃、彼を養っていた東勝寺において、北条高時を初めとする一門衆が割腹して果てました。頑是ない年頃のこと、この事件は彼の心に大きな襞を作ったろうことは想像に難くありません。この時、鎌倉に夢想疎石がいて、新田軍から覚海尼(北条高時の母)らを保護したのですが、新熊野丸もまた生き残ったようです。
 北条氏滅亡後、東勝寺は再建され、新熊野丸は喝食としての生活をつづけたのですが、立志の想い止みがたく、還俗して新熊野丸(いまくまのまる)となのり、上洛して最初に頼ったのが玄恵法印でした。玄恵は思案して、これを足利尊氏ではなく、まず足利直義に引き合わせました。

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