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2014年5月27日 (火)

中漠:洛中幕府編Ⅲ⑬最後の神木と祇園社の独立

 春屋妙葩が南禅寺の住持に復帰し、叢林の頂点として差配の腕を振るっている間、顕密勢にも動きがありました。1379年(康暦元年)八月十四日、興福寺が再び春日神木を奉じて上洛したのです。応安七年に内部対立の調停を幕府に求めるために神木を持ち出して以来のことです。この間、興福寺は大和の豪族十市遠康討伐を幕府に求めたのですが、康暦の政変のせいで一旦沙汰やみになっていたものです。これに対して幕府は六ヶ国守護に命じて討伐することを確約すると、興福寺は神木を引っ込めて大和に帰ってゆきました。
 それから伊勢外宮が遷宮が遅々として進まないことを不満として神宝を打ち捨てたり、延暦寺が神輿の造り替えを求めて神輿を打ち捨てたりしましたが、速攻で要求を呑むとそれぞれ宝物を持って帰りました。
 興福寺のケースにおいて、六ヶ国守護が十市遠康を討ち取ったということはなかったようで、十市遠康は1384年(至徳元年)には自らの菩提寺を建てていたりしています。奇妙なことに足利尾張守高経失脚の遠因にもなった春日神木入洛がこれ以降ぱたりと止んだのです。一見、幕府は顕密寺院に妥協しまくっているようにも見えます。それは細川頼之政権時には要求がエスカレートしていったのですが、今回は後に引きずらせずに済ませることができています。その理由は私には判じかねますが、これを境に幕府は寺社に対する優位を確保したように思われるのです。

 その一例として、幕府は康暦の政変が起こった五年後の1384年(永徳四年)に幕府が祇園社を延暦寺の傘下から独立させることに成功したことを挙げておきます。祇園社は大和時代、斉明朝の頃に創建された寺院で、牛頭天王を祀っておりました。本地垂迹説によると牛頭天王は素戔嗚尊の化身ということになっております。この祇園社はもともと興福寺の傘下にあったのですが、十世紀に入って延暦寺の支配下に収まりました。
 また、祇園社には犬神人という下級の神官がいました。彼らは六角棒を持つ武装集団でした。祇園社の犬神人は文字通り延暦寺の走狗となって洛中洛外の他宗派弾圧を直接執り行っておりました。鴨川を渡るとすぐに四条通という立地でしたので、寺社の密集する東山や洛中ににらみを利かせることができたのでした。
 それが延暦寺の配下を離れることになったわけです。延暦寺にとっては利のない話ではありましたが、それでも呑んだのは、幕府と寺社との間で力関係の変化があったためと見なさざるを得ないのです。祇園社は延暦寺に替わる後ろ盾を探さなければならなくなりましたが、それに応じたのが京の町衆たちでした。祇園社では毎年祇園御霊会という祭祀を行っておりました。そもそも祇園社は疫病などの厄払いを祈願するものでしたが、京の町衆が支援をすることになってから、この祭祀に一つの変化が生じます。 山や鉾と呼ばれる山車を引いて洛中に巡回するようになりました。そう、祇園御霊会は現在では祇園祭と呼ばれております。

 延暦寺は祇園社を失ったことになっておりますが、それで必ずしも他宗に対する圧力を弱めたわけではありませんでした。祇園社独立の三年後の1387年(嘉慶元年)、延暦寺は洛中四条櫛笥にあった法華宗妙顕寺を襲い、これを破却しております。これは、妙顕寺先代住持の大覚妙実が幕府と密接な関係を持っていたのが、彼の死後に関係が薄くなってしまったことと関係がないわけではなさそうです。しかし、この時点で法華宗はしっかり京の町衆の中に根を下ろしており、ほどなく復活することになります。

 ここで寺社を支える勢力として洛内の町衆という存在が現れました。彼らは洛内に住み、京における経済活動に従事する人々です。それまでは大教団が公家や武家をパトロンとして大寺院を支えてきたのですが、町衆がこのように活躍の場を得ることは洛内に幕府が入ってくるまでありえませんでした。康暦の政変の前に御所は洛内から室町殿に移り、将軍の持仏堂たる等持寺に代わるものとして相国寺が建立されております。幕府は洛外に出たと言えますが、実際問題、室町殿は平安京都市計画上の大内裏の北辺に位置しておりました。そこは一応洛外ですが、京の規模が広がったと見るならば、それは拡大された京市街の大内裏にあたる部分に建てられたと考えることもできます。足利義満は相国寺に七重大塔を建てて、禁裏をも睥睨したと言います。

 この強力な政権はそれから間もなく、南朝を併呑し、九州も配下に収め、日本国全土一統となった朝廷を圧迫しつつ明国との通商を開始するにいたります。足利尊氏・直義兄弟が始め、義満が完成させた京都の新秩序の完成形はここに成就したということができるでしょう。

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