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2014年5月29日 (木)

中漠:洛中幕府編Ⅲ⑭考察

 以上で洛中幕府編は区切りとなります。洛中幕府編の始まりは、都市計画上の洛中の定義とその洛内に武家の政庁及び菩提寺を置いてしまったことから始めました。それらはいずれもそれ以前の京の歴史にはなかったもの、鎌倉の武家の慣習をそのまま京に持ち込んだものでした。
 理想家肌の足利直義は志半ばに倒れ、それ以後の執事・管領達も政情不安の中で次々と後退してゆきます。それをしり目に佐々木導誉がキング・メイカーの地位につきますが、その地位は導誉の個人的な能力に立脚する者であり、彼が寿命で亡くなると、その地位は相続されることはありませんでした。
 
 細川頼之は比較的有能な管領としてよく国を治めましたが、寺社との関係構築に失敗し、春屋妙葩には見放された上に、興福寺や延暦寺の攻勢になすすべもなく妥協を強いられておりました。その要求はエスカレートする一方でした。細川頼之が春屋妙葩と対立したことは、後代になって彼の後継者達が林下禅や本願寺教団を強力にバックアップすることにつながったのではないかと思っております。

 本稿の最終段階ですでに足利義満は室町第に移り、等持寺の代替施設である相国寺が室町第の隣に建設されております。室町第の位置については、歴代上皇が置いた院庁と同じく洛外に置かれたものとみる見方と北方に拡大された新平安京の大内裏の位置であるとする二通りの味方があるかと思いますが、いずれにせよ足利義満はそういうものを志向し後にそれを実現させております。
 その後南北朝は合一し、足利義満は有力守護大名を取り潰し、明国の冊封を受けた挙げ句に朝廷の祭祀権を奪い取って新たな王朝を生み出す一歩手前までに至る足利義満の独壇場の時代となるのですが、幕府も洛外に移っており、義満の活躍の場に春屋妙葩はすでにいないので、それらの活動は別稿に譲りたいと思います。

 ただ、康暦の政変によって観応の擾乱以後、関東に避難した禅僧達が京に戻りやすい環境が出来上がったのは事実でして、義堂周信はそれで京に戻って足利義満のブレーンになりました。その後、初期幕府が置かれていた三条坊門第は足利義満の死後に足利義持が再興しました。足利義持は朝廷が足利義満に死後追贈した『太上天皇』号を辞退し、明との付き合いも止めて義満の政治の悉くを否定しました。三条坊門第の復興もその一環だったと言えるでしょう。しかし、義持の死後に後継となった足利義教は逆に足利義満路線を志向して、再び室町殿に戻りました。以後、第十三代の足利義輝が二条御所に移るまで、幕府は室町第に置かれます。

 後醍醐天皇が吉野に逃れてから以来、南北朝が合一するまでの期間のことを我が国では吉野朝時代とか、南北朝時代と呼びならわしております。しかし、考えてみるに平安時代が終わって以後、時代区分の呼称のよりどころが皇統の所在地にあった時代は明治以後を除けば南北朝のみなのですね。鎌倉時代は確かに鎌倉幕府が朝廷にも大きな影響を及ぼしましたが、それでも朝廷と幕府は並立する権力でした。公家や自社が支配する国衙・荘園と武家の領地は併存し、グレイゾーンも大きかったわけです。にもかかわらず、建久から元弘までの期間を鎌倉時代と呼んでよいのならば、暦応から康暦年間までの間は洛中時代と呼んでも差し支えはないのではないでしょうか。

 何より画期的だったのは、それまで今上帝の為の都市であった平安京に武家の幕『府』が入ったことでありましょう。ここには、皇位を譲った上皇も院庁を洛外に建てておりました。鎌倉幕府も朝廷を監視する為の施設を六波羅という鴨川の東側に建てたのです。そもそも『府』というものは、出先機関を意味します。古代中国において、皇帝が封じた王が自らの拠点とした根拠地を王府と呼んだのがその始まりです。日本においても、国府、大宰府、任那日本府、鎮守府等は京の中に置かれることはありませんでした。しかし、征夷大将軍となった足利尊氏は幕『府』を洛内に置いたのです。これは間違いなく、歴史の画期と言えるのではないでしょうか。
 併せて洛中幕府の隣接地に菩提寺を建てました。これを呼び水に洛内に法華宗が入り、信徒が組織化されて町衆という階層が現れてくるわけです。

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