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2015年1月18日 (日)

中漠:東亜動乱編③朱元璋の内部粛清

 冊封使を送った二年後の1374年に、洪武帝は方針転換します。それまでは明国も元と同様私貿易は認めており、市舶司という役所に取り締まらせていたのですが、洪武帝はこの市舶司を廃止し、海上ルートの貿易を公的貿易に限り私貿易を禁止しました。海禁政策の開始です。但し、港を塞いでも倭寇や方国珍の残党が消えてなくなるわけではありませんでした。自らに海上へ進出する力がない以上、それは問題の先送り以外の何物でもありません。

 海外政策を先送りにした代わりに、洪武帝がやったことは汚職打破を名分とした清官運動と功臣の弾圧です。これは現代の中華人民共和国でも行われている伝統的政策でこれによって、中央集権の強化を図ろうとしました。
 その最初の大物が胡惟庸という右腕でした。史書は彼のことを悪く書いておりますが、実際はどうだったのかはわかりません。洪武帝がやったことは二十世紀において、林彪や劉少奇を処罰した毛沢東とあまり変わらないようです。
 その時たまたま日本国王良懐の使節が来明していたと、明の史書にあります。国書を持参したのですが、その国書の内容があまりに無礼で、なおかつ倭寇は海禁にも関わらず跳梁跋扈していたため、洪武帝は怒ってしまってこれを雲南に流罪にしたらしい。おまけにこの使節は四百名もの兵を伴っていたとも書かれています。実際問題、この時の懐良親王にそんな使節を送る余力はありませんでした。なので、この話自体があったかどうかも怪しいのですが、胡惟庸処分の六年後にこの日本使節処罰のシナリオが活用されます。粛清の対象となったのは寧波衛指揮使の林賢でした。寧波は日本と中国との交易を行う玄関口で、林賢はその港の守備を司っておりました。林賢が実際にどのようなことをしでかしたのかは、不明ですが、彼にかぶせられた容疑は次のようなものです。
 1376年、林賢は日本使節(兵四百とは別物)を襲った罪で、役職を免ぜられ三年間日本に流罪になっていた。三年後復職したが、それは胡惟庸の意を受けて、日本兵を率いて反逆するためだった。ということなのですね。日本の使節を襲ったのに、なぜ日本に流されるのかもわけわかりません。日本人が抗議して犯人として引き渡されたと言うのならまだ理解できますが、三年後に明に戻ってなおかつ、胡惟庸の意を受けて日本兵を渡海させることができる立場にいたという容疑が意味不明です。なおかつ、その当時の日本(特に九州)は南北朝の内乱期の政府に海を渡って胡惟庸に加担したいと思った勢力主体がいたとは考えられません。
 結局の所、林賢を処罰した本当の狙いは日明断交を宣言することにあったとしか思えないのですね。処分の二年前に浙江沿岸部の住民を強制移住させて日本海商(彼らの言う所の倭寇)との接触ができないようにしました。林賢の処罰はその延長線にあり、寧波に地盤を持つ林賢を除くことで、貿易統制を徹底できるようにすることにあったのでしょう。
 洪武帝がおそれていたのは、方国珍の残党が日本と結んで逆襲に転じることでした。方国珍が地盤とした浙江寺院と日本との関係を断ち切りたかったのでしょう。1386年に洪武帝は日本との断交を宣言しました。

 その傾向は洪武帝自身の僧時代の経験と重なったのではないかと思われます。彼は僧ではありましたが、そのまま愚連隊化して異民族のモンゴル人に対抗する反乱軍を率いて天下を取った人間ですので、異民族である日本人の仏教勢力が自らの政権を脅かすかもしれないという脳内ループを止められなかったようです。
 そういった発想は別の所でやはり、疑獄事件を起こしております。いわゆる文字の獄と呼ばれる弾圧事件で彼は自らが托鉢僧出身であることを黒歴史とし、「僧」、「光」、「禿」などの文字の使用を禁じておりました。ところが1381年に公文書にそれらの文字がつかわれていたとして、長年つかえてくれていた功臣を撲殺刑に処しました。これを文字の獄と言います。功臣を見せしめに処刑することで権力強化を図るのはこの国ではよくつかわれる手口ですから、弾圧の口実は何でもよかったとは思われますが、この事件は太祖自身の仏教観がよくわかる事件と言えるかもしれません。

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