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2015年3月 1日 (日)

中漠:林下編③妙心寺建立

 1336年(建武三年)の足利尊氏の上洛によって、建武の親政は崩壊するにいたります。大徳寺は南禅寺と同じく五山の上位を占めておりましたが、宗峰妙超は後醍醐方に肩入れしすぎておりました。一方の南禅寺は夢想疎石を迎え入れ、足利兄弟の帰依も受けて繁栄の足掛かりを得ます。宗峰妙超はこの転換期に新たな支配者である足利尊氏に好を通じる機会も得られぬまま示寂しました。彼は大徳寺を残しましたが、その他にも残したものがあります。帰依を受けた花園上皇でした。引き続き禅の指導を受けたい花園上皇は病床の宗峰妙超にそのことを相談すると、弟子の一人関山慧玄を推挙しました。宗峰妙超の死後に花園上皇は自分用の修行場を作って遺言通り関山慧玄を住持に据えました。そこが妙心寺です。
 妙心寺が建立された頃の大徳寺は後醍醐天皇が選んだ五山筆頭から転がり落ちる過程にあり、二世住持の徹翁義亨が立て直しを図っている頃であり、花園上皇については関山慧玄に任せきりだったようです。そして事情はよく調べきれていないのですが、関山慧玄と徹翁義亨との仲が険悪なものとなっていったようです。徹翁義亨が大徳寺住持を継いだ後、兄弟弟子数名に住持職を任せた後、大徳寺住持職は徹翁義亨の法系がほぼ独占するようになります。関山慧玄と徹翁義亨は二人とも宗峰妙超の弟子で、兄弟弟子の関係にありますが、関山慧玄は大徳寺住持の座にはつきませんでした。
 「竜宝霊山法度抄」という書物には関山慧玄は宗峰妙超の勘気に触れ、その遺言をもって破門されたという記事があるそうです。奇妙な話だとは思います。花園上皇に関山慧玄を推薦したのは宗峰妙超本人です。宗峰妙超が関山慧玄に弟子たる資格が無いと見なしたならば、妙心寺の住持職も交代させなければ、上皇に対する責任が果たせないはずですが、妙心寺は以後も関山慧玄の法系で運営されてゆくことになります。おそらくは、この記事は後付けの話なのでしょう。

 1341年(暦応四年)、大徳寺は五山からはずされることになります。その翌年に妙心寺は完成し寺内の玉鳳院に花園上皇が入って関山慧玄の指導を仰ぐことになります。現代でこそ、日本最大の禅宗寺院として威容を放っておりますが、この時点においては花園上皇の隠居所という趣だったと思われます。その花園上皇も1348年(貞和四年)に崩御し、その後も禅宗寺院として存続します。
 関山慧玄も1360年(延文五年)に入寂しました。彼の法嗣として妙心寺を継いだ人物を授翁宗弼と言いますが、彼の出自に興味深い説があります。彼は出家前は後醍醐天皇の側近として建武の親政時に恩賞方として采配を振るった万里小路藤房ではないかというものです。建武の親政時の恩賞方と言えば、二条川原の落書きに、「安堵 恩賞 虚軍(そらいくさ)本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛」と言ったものがこの頃都にはやるものと書かれていた通り、恩賞方には裁ききれないほどの訴状が集まって大混乱をきたし、後醍醐天皇も情実人事を許したので、はブチ切れて諫言をしたものの聞き入れられず、失踪したという話です。失踪後の万里小路藤房の行方については諸説あり妙心寺の授翁宗弼と同一人物説はその中の一つに過ぎないものではありますが、この遁世した貴人が妙心寺に入っていたとすれば花園上皇崩御後も寺院が存続した事情も何となく察することはできそうです。

  三代目の無因宗因が住持を務めるようになってようやく寺法が定められたと言います。五山の一つ建仁寺出身ですが、関山派に学びなおして妙心寺を継ぐことになりました。妙心寺は花園上皇の禅宗修行の為に作られた寺院ですが、すでに花園上皇は亡く、貴人の保護も受けられない状況です。不安定な寺院系を安定させる為に妙心寺は有力な檀越を必要としておりました。そこに名乗りを上げたのが大内義弘でありました。彼は周防の国拠点を持ち、観応の擾乱において南朝方についた後、足利尾張守高経が失脚したタイミングで幕府側に帰参した大内弘世の息子です。彼の手元には足利尾張守高経の次男、氏経を捕虜として保護しており、幕府の実権を握っていた時点では帰参がかなわなかったのですが、高経が失脚したことによって、氏経ともども晴れて帰参がかなったようです。
 高経の後、管領となった細川頼之は今川了俊を九州探題に任命し、大内弘世・義弘親子はこれに協力してゆくことになります。大内氏は新羅王族出身と称していて清和源氏ではなく、源平藤橘でもありません。しかも最近幕府に帰参した外様の実力者であり、そんな彼らであるが故に、京に情報拠点を求めていたと見てよいでしょう。それに呼応したのが妙心寺だったわけです。

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