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2016年1月16日 (土)

中漠:明応軍乱編③細川政元と新仏教

u 細川政元は妙心寺の庇護者ですが、彼が関与した宗教は妙心寺派臨済宗だけではありませんでした。細川政元は禅・本願寺・法華ら顕密の旧仏教に対抗して出てきた新仏教勢力と積極的に接触するようになりますが、そのきっかけとなったのは明応の政変でした。

 明応の政変は畠山政長を重用する室町殿、足利義材に業を煮やした細川政元がクーデターを起こし、仏門に入っていた堀越公方足利政知の息子清晃を擁立した事件です。クーデターは足利義材が畠山政長を従えて河内国に蟠踞する畠山義就を対峙するための遠征をした留守を狙って行われました。クーデターによって京からの支援を建たれた遠征軍は瓦解。畠山政長は自害を余儀なくされ、足利義材は細川政元が派遣した朝倉貞景の捕縛され、京に連れ戻された後、龍安寺に幽閉されてしまいました。言うまでもなく、龍安寺は細川勝元が義天玄承に作らせた妙心寺派の寺院です。禅将軍を幽閉し、傀儡の将軍を立てて管領独裁体制が完成すると思いきや、二ヶ月後にこの足利義材は龍安寺を脱出して越前に亡命してしまいます。

 この足利義材を野に放ったことで政局の混沌はさらに深まってしまいました。というのは、足利義材が亡命先の越中に開いた御所に越前国の朝倉貞景が参じてしまうのです。これに腹を立てた細川政元は加賀国の本願寺教団寺院に命じて越前国侵入をさせますが、朝倉貞景はこれを撃退します。  これは小競り合いと言ってよいものでしたが、この時本願寺教団が細川政元の意を受けて動いたのにはわけがありました。時の山科本願寺法主の実如は先代蓮如の時に起こった加賀一向一揆事件の収束に細川政元に大きな借りができていたのです。すなわち、一向一揆が加賀国守護富樫政親を殺害して国を乗っ取ったことを黙認してもらったのですね。なので、細川政元が力を貸せと命じられれば、それに抗うことができませんでした。

 細川政元はその一方で近江六角氏を味方につけます。六角家の当主は六角行高と言い、近江国の幕府領横領の咎で足利義尚の討伐を受けた人物です。幸いにして義尚は若死にし、義材も近江討伐を企図していたものの、実現前にクーデターが起こって助かった人物です。細川政元は義材が倒れて政治的なフリーハンドを得ることができたわけですね。六角行高は晴れて近江守護の座を得たばかりではなく、還俗した新室町殿の偏諱を得て高頼と名乗ります。新たな室町殿の名前は義高と言いました。後に義澄と解明するのですが、後に改名することになる理由が政変の時に起こっていたわけです。

 それは後土御門天皇が足利義高の将軍継職を承認しなかったためでした。朝廷的には征夷大将軍は越中に亡命した足利義材であって義高には正統性を認められなかったのですね。朝廷は元々が財政難に苦しんでいたのですが、これをきっかけに細川政元はさらに財政的な圧迫を加え始めたものと思われます。というのは、この頃丁度摂関家の近衛家が洛中法華寺院と関係を深めているのです。後土御門天皇は明応五年に崩御しますが、細川政元の嫌がらせによって死後四十日も以外を禁裏の中におかれたままの状態とされてしまいました。こういう状況では朝廷も足利義高の将軍継職を認めざるを得ませんでした。晴れて足利義高は将軍となって足利義澄を名乗ります。一方、朝廷は細川政元より後柏原天皇の即位の礼が財源不足で認められないという仕打ちを受けております。

 流れ公方こと足利義材は思ったよりも強力でした。明応五年には美濃の斎藤妙純が近江に攻め込みます。斎藤妙純の娘婿は朝倉貞景だったりするのですね。その直前に美濃の内乱に六角高頼がちょっかいをかけていたこともあるのですが、それを打ち破った余勢を駆っての出陣です。無論、足利義材が朝倉貞景を通してそそのかしたのでしょう。しかし、斎藤妙純は運悪く、地元の土一揆に暗殺されてしまいます。その間に義材はさらに延暦寺、根来寺、高野山に檄を飛ばして味方につけることに成功します。1499年(明応八年)一月に尾州畠山尚順は総州畠山義豊を河内で討ち取ります。それに呼応して足利義材が越前から南下を開始します。尾州畠山の躍進には高野山や根来寺の支援が後押ししたと思われますし、越前からの南下にしても、延暦寺の呼応が大きな要因となっていたことでしょう。顕密勢力が義材側についたことで細川政元は仏教側に対策を講じる必要が出てきました。細川政元は最も近接する敵対勢力に武をもって応えました。すなわち、延暦寺を討ったのです。

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