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2016年7月23日 (土)

中漠:天文錯乱編③高国政権の崩壊

 大内義興が帰国し、足利義稙が脱落して、細川高国が残りました。彼の統治時代は決して平和とは言えませんでした。彼が管領の座についた経緯も下剋上そのもので決して褒められたものではありませんでしたが、それでも細川政元がとったエキセントリックな路線を是正し、京を侵略しようとする征服軍を何度も撃退して守り切りました。明応政変の原因となった畠山政長の子、尚順を政権内に取り込み、河内国との抗争もおさまって、同時に大和国も平穏を取り戻しております。後背の近江六角氏、越前朝倉氏も与党であり、阿波細川家を敵に回してしまったこと以外は盤石な体制を築いていました。しかも、本願寺のような潜在的敵勢力を掃討するようなまねはせず、同時にその軍事力もあてにしないで王法を受け入れさせる徳も見せております。当代一の文化人、三条西実隆が高国に惚れこむ所以でもあります。
 高国体制の核となったのは、丹波国人衆でした。政元の代においては内藤氏や波々伯部氏が活躍しておりましたが、高国の体制では八上城の波多野稙通が台頭しております。高国は彼に丹波国人衆のまとめを任せるとともに、彼の二人の弟を重要なポジションにつかせます。すなわち、次男の元盛には讃岐出身の政元内衆である山城守護代香西元長の名跡を継がせ、香西元盛と名乗らせて職責も継がせました。香西元長は細川家にとって謀反人であり、彼の出身である讃岐国は今は阿波細川家の支配下にありました。本来であれば世襲がベストであるのですが、以上の理由で香西の名跡を取り上げて縁もゆかりもない波多野の次男に与えたわけです。
 同様に三男の賢治には大和国の国人衆の一家である柳本氏を継がせました。元々柳本氏は楊本氏と言って大和国楊本荘という興福寺所有の荘園で荘官を務めていた一族だったのですが、応仁の乱においては総州畠山氏とのかかわりが深く、明応の政変以後の混乱で一族が大和国から没落していたところを細川高国が拾い、丹波神尾城に据えさせました。名跡を継がせて体裁を整えなければならないというところに、細川政元の政権と比較して、スケールダウンの印象は否めません。

 等持院合戦で三好之長と細川澄元を倒し、阿波細川家に完勝したと言っても阿波細川家から各勢力への調略の手はいたるところに張り巡らされておりました。足利義稙もそれにひっかかったクチの一人です。高国政権は常にこの疑心暗鬼と実際の調略の両方に対応しなければならなかったのです。

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 高国政権は細川氏が分裂して興ったものでしたから、味方になってくれる一門衆も限られていました。そんな中で高国と共に戦ったのが細川典廐家でした。当主を尹賢といいますが、養子であり元々は高国とは従兄弟同士の関係でした。高国の嫁は尹賢が養子先、典廐家政賢の娘であり、政賢の娘との間にできた稙国が1525年(大永五年)に死去すると、今度は尹賢の息子を養子にするほど親しい間柄です。

 その尹賢から見て、細川高国政権の基盤は盤石と言い難かったのでしょう。波多野三兄弟で丹波・山城を抑える形になっておりますが、このうちの山城守護代を担当していた香西元盛と典厩細川尹賢との間の相性が特によろしくありませんでした。一説に香西元盛は武勇の人ではあるが、文盲で文書が読めないことを尹賢が疎んじていたと言います。察するに先に謀反で滅びた香西元長が担当していた京兆家内衆としての職務を、武人の元盛が上手く回せなかったと言う所でありましょう。その負担は摂津国を担当する一門衆の典厩細川尹賢にのしかかってきます。尹賢は先年子の氏綱を高国の養子にやりました。次期管領の実父になった彼は香西元盛を排除しようと考えるに至ったものと思われます。
 浅慮と言ってしまえば、その通りではあるのですが細川尹賢は香西元盛排除の手段として、讒訴を選んでしまったと言います。即ち、香西元盛が阿波細川家と密かに通じて謀反を企んでいるとして、その証拠として細川六郎(晴元)や三好元長からの書状を捏造して管領細川高国に渡したと言います。細川高国はこれを真に受けて後々の結果も考えずに香西元盛を上位討ちにかけてしまいました。
 細川尹賢はともかくとして、この時の高国のやり方はらしくありません。永正の錯乱以後における高国の戦略は基本的にやられたらやり返すという専守防衛的な考えで取り進められております。存外、尹賢は独断で元盛誅殺までを済ませた後に、高国に尻拭いを強いたのかもしれません。養子に迎えた氏綱の実父の立場から言われれば否応もなかったのではないでしょうか。断ればまた細川家は二つに割れ、阿波家の跳梁を許すことになります。京兆家当主、管領の立場からの上位討ちと言う形にすることでことが収まることを期待したのではなかったでしょうか。

 しかし、浅慮はいかに覆い隠しても浅慮でしかありませんでした。問題は香西元盛を排除した影響がどこに及ぶのかが一顧だにされていなかったことにありました。香西元盛は波多野さん兄弟の次兄であり、丹波を治める波多野稙通、大和の柳本賢治がこれを許すはずはなく、挙兵の上阿波細川方についたのです。予定調和と言えば予定調和です。おそらくは事前に彼らだけではなく、高国の被官衆の大方には阿波家からの働きかけはあったと思います。被官衆はそれを保険として取って置き、身に危険が及んだり、阿波方に自分を高く売りつけられるタイミングが来たりした時に行使するようにしていたのではないかと私は勘ぐっております。
 ともあれ、亡兄弟への復讐を大義に波多野稙通、柳本賢治は丹波神尾山城に籠もって挙兵、細川氏賢はこれを攻めますが、失敗。勢いを得た波多野勢は桂川原に進出します。細川高国はこれを重く見て氏賢とともに応戦しますが敗れてしまいます。これが高国政権崩壊の引き金となりました。

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