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2016年10月 9日 (日)

中漠:天文錯乱編⑮山科本願寺炎上

 茨木長隆は本願寺教団を動員することによって自らを引き立ててくれた三好元長を殺害したばかりか、茨木氏の主人である興福寺にまで刃を向けることになりました。この本願寺の暴走を止めるために茨木長隆がとった行動はさらに混迷をもたらすものでした。

 まず、茨木長隆は近江の六角定頼と和議を結ぶことにしました。六角定頼は細川高国派ではありましたが、高国は既に亡く、細川六郎は阿波衆と手切れをして足利義晴を奉じることとしていますので、対立する原因は取り除かれておりました。そして、もう一つの手は、本願寺教団の総本山である山科本願寺を洛中法華衆に討たせるというものです。洛中法華衆はこの時までに寛正の盟約に基づく諸寺同盟を結んでおりましたが、それを軍事力として使おうとするものです。この時の法華宗徒の束ねとして指名されたのは、柳本信堯・山村正次ら、旧柳本党でした。

 今谷明氏らの本を読むと三好氏と法華宗徒とは以前から深いつながりがあったと述べられているのですが、洛中法華宗徒は、その三好氏と深刻な政治闘争を行った柳本一党(特に甚次郎は三好元長に討ち取られています)の統率下に置かれておりました。少なくともこの時点の洛中法華宗徒は京を何度も襲った三好衆よりも、むしろその防衛戦で戦った柳本氏ら地元勢力の方を支持していたものと考えるべきでしょう。むしろ、洛中法華宗徒が三好氏と深く結びついたのは、この後に起こった天文法華の乱で堺の顕本寺が亡命法華宗徒の受け入れ先となり、その赦免に三好長慶が関与したためではないかと思っております。
 ともあれ、茨木長隆の戦術は、敵の敵は味方といった行き当たりばったりなものばかりではありましたが、何とか対本願寺戦線の構築に成功します。
 天文元年八月七日に柳本信堯・山村正次らは東山に出陣し、大谷廟を始めとする洛中洛外の本願寺教団寺院に対して討ち回りを始めます。そして、十二日には近江国大津で六角定頼軍と合流して蓮淳が住持を務める顕証寺を焼き払ってしまいました。蓮淳は堅田の本福寺に救援を求めましたが、本福寺の住持明宗はそれ以前に二度も蓮淳から破門を食らっており、教勢は削ぎ落とされて援軍どころか寺の維持すらままならない状態でした。蓮淳はこれを恨んで本福寺明宗に三度目の破門をいたしますが、これは後の話。顕証寺を焼き払われた蓮淳は山科本願寺の守りを固めるかと思いきや、北伊勢長嶋の願証寺に逃げ去ってしまいました。蓮淳は証如の補佐としてそれまでの本願寺の行動をコントロールしていたはずなのですが、それをすべて放擲したことによってすべてがノーコントロールの状態に陥ってしまいました。
 それでも、蓮芸の子、蓮誓のいる摂津国富田御坊(後の教行寺)から門徒衆が西岡まで進出しましたが、法華宗徒に撃退されております。かくて孤立無援に陥った山科本願寺は六角定頼軍と柳本信堯及び山村正次率いる法華宗徒軍との連合軍に攻めかかられてしまいます。一日の戦いの後、大伽藍は蹂躙され、烏有に帰してしまいました。
 証如は命からがら摂津国石山御坊に落ち延びますが、戦況は一進一退。門徒衆が摂津国衆を味方につけて山崎で合戦をし、柳本衆の残党を解体にまでもってゆきましたが、その年の暮れには摂津国富田御坊が法華宗徒の手に落ちました。これも摂津国衆の寝返りが原因となっております。摂津国衆の独立志向は高く、一方の勝ち過ぎを許さない体質のためと思われます。

  これに対抗するため、年の明けた1533年(天文二年)証如は石山御坊を新たな本願寺と定め、改めて檄を飛ばします。この時までに連枝の実円、加賀出征から急を聞いて帰還していた下間頼秀・頼盛兄弟、及びその父下間頼玄らがブレーンとして蓮淳の執務を代行します。劇に応じた摂河泉の門徒衆は堺に殺到し、細川六郎は一時的に淡路に追われることとなりました。

 この時、本願寺は味方を必要としておりました。そこで見出したのが細川高国の弟、晴国です。このあたり、反六郎であれば誰でもいいという感になっておりますが、彼を通じて波多野稙通、三宅国村、尾州畠山稙国らが味方につきます。細川晴国は六月に摂津守護代薬師寺国長を討ち取って見せました。それに反撃しようと京から摂津方面へ法華宗徒衆が出陣しますが、はかばかしい戦果は挙げられていません。

 細川政元の暗殺以来、高国は足利義尹(義稙)に、澄元は阿波細川家に担がれますが、それ以降細川六郎は当初こそ阿波細川家に保護されつつも、後にかつて細川高国が傀儡としていた足利義晴を奉じる茨木氏ら摂津国人衆、宗家に反逆する三好政長、北河内の木澤長政と南近江の六角定頼、そして京の法華宗徒らの緩やかな同盟に乗りかかります。今回の細川晴国も本願寺、丹波の波多野、摂津の三宅、紀州に勢力を持つ尾州畠山とすべてが小粒な支持層となり、事態を動かす中核となる存在はいませんでした。

 その茶番劇めくも笑えない混沌に一興を添えたのが、非業の最期を遂げた三好元長の遺児、千熊丸でした。

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