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2017年2月 5日 (日)

中漠:林下編Ⅱ⑪武田家の宗旨報告書Ⅴ(武田晴信・大井流武田氏)

  今までの書きぶりで甲斐国に妙心寺派臨済宗が入り込んだのは、今川義元の影響のように書いてきましたが、実はもう一つルートがあります。それが今回お話しする大井流武田家です。大井家は以下の系図にあるように穴山家同様、武田一門衆を形成する一族で、巨摩郡大井近辺を領する国衆でした。戦国期の武田家内訌においては、穴山家とともに、今川氏親と結んで武田信虎と対抗しましたが、結局今川家は撤退し、和睦を結ばざるを得なくなりました。その条件として大井家が武田宗家に差し出したのが、大井の方です。

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 大井家対武田宗家の合戦の舞台となったのが大井信達の居城、上野城(別説に富田城)でした。和睦後に武田信虎は大井信達をはじめとする国衆に館の甲府集住を命じます。これに反発したのが大井信達でしたが、この時の反乱はあえなく鎮圧され、出家隠遁をせざる得なくなる羽目に陥ります。この時に号した名前が、大井入道宗芸というものでした。彼の死後戒名は本習院殿熊学宗芸庵主です。「宗」のついた法号は今まで見てきた通り、大徳寺・妙心寺系のものであり、彼もまた妙心寺との関わりがあるように見える人物でした。隠遁後の大井宗芸は和歌に親しむ悠々自適の生活をおくったとのことです。しかし、彼の居城跡は房号に似た本重寺という富士門流法華宗寺院になっており、彼の墓もそこにあります。
 大井一族はもう一つ菩提寺をもっていました。武田氏の支流ですので、もともとの宗旨は天台宗なのですが、大井氏進出以前、巨摩郡大井郷鮎沢に建っていたその寺は真言宗寺院として建立されており西光寺と号しておりました。行基が開基したそうですが、鎌倉時代末期の1316年(正和五年)、甲斐出身の名僧夢窓疎石がここを臨済宗寺院長禅寺と改めます。夢窓疎石の手になるものですから、大徳寺・妙心寺系の臨済宗ではなく、五山秩序の中に入った寺院ということになります。その後大井一族がそこを菩提寺にしたらしいです。

 戦国時代に入って、五山の秩序は崩壊します。そのすきをついて、長禅寺に入った一人の僧がおりました。その名も岐秀元伯と言います。彼は妙心寺の悟渓宗頓(東海派の祖)の流れを汲む僧であり、信虎と結婚する前の大井信達の娘、のちの大井の方の絶大なる信頼を得ていたと言います。
 大井の方は信虎と結婚し、嫡男晴信を設けると、この息子の教育係に岐秀元伯をつけたらしい。鮎沢の長禅寺には勝千代(晴信の幼名)が子供のころに遊んだ木馬が残されているとのことです。また、古狸がこの木馬に化けて勝千代を化かそうとしたところ、聡明な勝千代はこれを喝破して見事に撃退したなどという話も残されているらしい。
 もっとも、勝千代が住んでいた躑躅ヶ崎館と鮎沢の長禅寺は子供の足で通うには遠すぎる場所にあり、話の信ぴょう性は薄いとも言います。いずれにせよ、この話は今川義元が妙心寺派に転向する以前の話ということになります。

 1536年(天文五年)に花倉の乱がおこって玄広恵探が栴岳承芳(今川義元)に討たれたのと同じ年に、勝千代は元服して晴信と名乗ります。齢十六でした。それ以後も武田晴信は岐秀元伯を私的な家庭教師として彼から学問を学びました。
 甲斐国の妙心寺派にとって中心寺院はあくまでも恵林寺であり、そこは明叔慶浚、希菴玄密、鳳栖玄梁、天桂玄長、快川紹喜と妙心寺派(主として東海派)の僧ががっちりローテーションを組んで保ち続けておりました。

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 1552年(天文二十一年)武田晴信は三十一歳で出家して信玄と名乗るまでに岐秀元伯から碧巌録という臨済宗の公案集全七巻中五巻までをマスターしていたと甲陽軍鑑は言います。そして、法号の信玄の「玄」の字は臨済義玄と関山慧玄の玄であるとも言っているのですね。そして同じ年に大井の方は亡くなります。彼女は夫信虎が駿河に「追放」されても甲斐に残りました。戦国の妻として、宗家のもとで実家を守る責任が優先されたということでしょう。信玄はそんな大井の方の為に、躑躅ヶ崎館の一角に寺院を建立し、そこを長禅寺と名付け、岐秀元伯を開山に、大井の方を開基ということにしました。鮎沢にあった長禅寺はそのまま大井家の菩提寺として機能して区別の為に古長禅寺と呼びならわされます。

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