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2017年5月20日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 第2節の論点抽出:日覚の弾正忠三河侵攻情報はあてになるか?

 本稿は論文第2節:「織田信秀の三河侵攻情報の信憑性」について考察する物です。

論文においては、「菩提心院日覚書状」の三河関連情報について、原文と論文の著者による現代語訳がつけられております。以下その引用です。(実際は原文の段落毎に逐次解説が入っておりますが、まとめております)

〇菩提心院日覚書状(抜粋)の現代語訳 論文より引用(〇数字と(a)は拙稿にて挿入・抽出論点を赤字で表記)

三河では駿河衆が敗戦したらしく、弾正忠がひとまずは一国を押さえている。
その威勢はいまだかつてない程度であるように取り沙汰されている。

かの楞厳坊が申し来るところでは、鵜殿氏にとってめぐりあわせはよろしくないと言う。
それというのも、鵜殿はかねて織田と今川の力関係を見計らって、両者との外交で色々上手に立ち回って
おいでであったが、このたび思いの外今川軍敗戦という事態になってしまい、

②織田信秀は今や、鵜殿へ何ら愛想をするまでもないと(「一段の曲なく」)お思いとのことだ。
楞厳坊が「恐らく今こんにちの時点では、はや鵜殿の城に織田が攻め入っているかもしれない」と言うから、
あまりにも心許なく思われるので、近日のうちに心城坊を鵜殿のもとに差し遣わすつもりである。

(a)岡崎城主松平広忠は、織田信秀への降参者として処遇され、辛うじて命ばかりは許された。
信秀は三河を平らげ(「平均」にし)、
その翌日に京に上った。
④楞厳坊の在京中に信秀の上京という良いついでが重なり、
このように楞厳坊が聞きつけて情報をよこしてくれた。
鵜殿に万一のことがあれば、当門流にとって痛手であり、体面上も実質においても残念な事態である。

 上記訳に付随した解説を簡略にまとめると以下のようになります。

 駿河衆を破り前代未聞の勢いの弾正忠こと、①織田信秀は三河一国を支配している。(a)織田信秀は岡崎城主松平広忠を降伏させて、③上洛してきた。織田信秀は日覚が属する日陣門流檀徒である②鵜殿氏について、もはや愛想をするまでもないと言っている。京には日覚と同門である日陣門流の楞厳坊がいてこの話を聞き付けて知らせた。この話は全部伝聞情報なのだが、日覚には尾張・三河地方とのコネクションをもっているので、史実である蓋然性は高い。

①弾正忠が管領する一国とはどこか?
 論文中では、一国とは三河国であると断定していますが、この一国とは信秀が自らが属する尾張国のことを言っている可能性について、考察してみます。
 その根拠として、現代語訳で「織田と今川の力関係」となっている箇所が原文では「尾と駿と間を見合わせ候て」となっている点を挙げておきます。

②弾正忠は鵜殿のことを「一段の曲な」しとお思いになったのか?
 現代語訳文の主語について考察いたします。論文では弾正忠が鵜殿に愛想をするまでもないと思ったとしていますが、敬語の使い方等から逆に鵜殿が弾正忠のことを交渉相手としては愛想のないものと思っているという解釈が成り立つかどうか考察いたします。

③弾正忠は上洛したのか?
 ここは論文においても、織田信秀上洛を示す他の史料は見当たらないと言及されていますが、別解が成立しうるかどうか、自分なりに考えてみます。

④楞厳坊は誰からどんな情報を仕入れたと言っているか?
 論文では上洛した織田信秀についての噂を、同じく楞厳坊が聞きつけて越中にいる師の日覚に伝えた態であるとかいています。察するに鵜殿云々は織田信秀が三河で駿河衆を敗軍に追い込んだという情報から、同じく三河国人である鵜殿氏への影響を心配した、という読み方をされているのでしょう。その読み方が果たして正しいかどうか、検証を試みます。

(a)岡崎の降参について
 これについては、論文の第5節において考察がされていますので、ここでの論点とはせず、そこでまとめて考えてゆきたいと思います。

⑤第2節の結論

〇菩提心院日覚書状(抜粋)の原文 愛知県史 資料編14より引用

一三州ハ駿河衆敗軍の様二候て、弾正忠先以一国を管領
 候、威勢前代未聞之様二其沙汰共候、一、此十日計巳
 前ニ京都より楞厳坊罷下候、厳隆坊も同心にて候、心
 城坊ハ旧冬よりいまに当国二滞留候、さる仕合候て、
 濃州より当国へ上使二養雲軒と申人之内者の様にて候、
 于今旦方あひたの使なと仕候、此人なふてハの様にて
 候、一、彼楞厳坊申来候ハ、鵜殿仕合ハよくも有間敷
 様二物語候、其謂ハ尾と駿と間を見あはせ候て、種々
 上手をせられ候之処二、覚悟外二東国はいくん二成候
 間、弾正忠一段ノ曲なく被思たるよしに候、定而彼地
 をも只今の時分ハ攻いらんやと致物語候間、あまりニ
 □□許存候間、近日心□坊を可差遣覚悟にて候、岡崎
 ハ弾江かう参之分にて、からゝゝの命にて候、弾ハ三
 州平均、其翌日ニ京上候、其便宜候て楞厳物語も聞ま
 いらせ候、万一の辺も候てハ、門中力落外見実義口惜

 次第候、

※愛知県史は□部分を以下の通り補足
 □□許存候⇒無心許存候(心許なく存じ候)
 心□坊⇒心城坊

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