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2017年6月17日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 3-2 織田信秀は出兵を今川義元に相談したのか?

  論文の第3節は北条氏康書状の紹介からすぐに補足に入っています。

〇論文より引用
仍て三州の儀、駿州に相談せられ、去年かの国に向け軍を起こされ、安城は要害、即時に敗れるるの由候
(中略)
*傍線を付した二箇所は、文字につき説明を要する。
相談せられ(原文「被相談」)『神奈川県史』や愛知県史「中世3」などは「無相談」と読んでいるが、
以前に指摘した通り、文字自体は間違いなく「被」である。

もう一ヶ所が「安城は要害」という文言ですが、これについての説明は後段に譲ります。

 とりあえず、この補足の前段に「岡崎城を押さえた」別文書の存在を言い、その来歴を語って本文を紹介した直後なのですから、岡崎城云々の解説に入るのが本来の流れのはずなのですが、それを後節に持っていってわざわざ、岡崎城攻落の有無との関連性の薄い駿河との相談の有無や、文書における安城城の位置づけについての補足に入るところが、当該書状の解釈がいまだ定まっていない証拠なのだろうと思います。そしてこの部分は私自身が論文中で最も納得のいかない部分でもあります。
 それは上記の部分だけでなく、注釈の部分において長文を費やして解説をしております。その字句の形状に係る主張が以下のものとなります。

〇論文より引用
(8)「被」「無」の草書体は似ることがある。この文書中の他のくだりで「被」は何度も用いられ、
「無」も二度用いられている。『古証文』原本に当たってそれらと比較するに、『古証文』筆記者が
当該箇所を「被」と書いていることは明らかである。

 この内容は平成五年に編纂された安城市史に著者自身が書かれた解説の内容がほぼ踏襲されています。しかし、『古証文』は前稿で示した通り、編纂時期が不明な上、現存するのは写本のみであり、いつ作成されたものであるか不明な物も含まれております。
 三種の写本の字形については、過去の拙稿にて考察した通り、素人目には「無」と読んでも差し支えないように見えると結論付けました。詳細は以下リンク先を参照してください。

〇川戦:安城合戦編⑪漢字パズルⅠ~Ⅲ

 それだけに安城市史の解説同様「原本」なるものをもって、「被」と断定するのであれば、少なくとも論文が言う所の「原本」の来歴を明らかにするべきではなかったかと思います。

 強いてこの論文が「原本」とした物を推理するなら、当ブログで旧蔵所不明本と呼称したものではないかと考えております。この本は肉筆写本三種のうち、朝野旧聞ほう藁の字体に最も近く、かつ、他の二写本と違って江戸城城外に流出したという記録がありません。但し、作成又は書写の経緯と年代が不明でありその活用には色々な前提をつけられるべき写本であることは留意する必要があるでしょう。
 城外に出たものの一書が江戸中期の旗本にして蔵書家でもある大久保酉山が愛宕山下の自邸書庫に蔵されたものです。残る一書は検校塙保己一が群書類従を作るために麹町(後六番町に移転)に設立した学問所に納められたものです。城外に出たと言っても江戸城下の域内であり、かつ、管理者も幕臣です。いずれも後に内閣文庫として国立公文書館に収められている事を考えると、それぞれの書庫にあった際も妥当な管理は行われており旧蔵所不明本を補完する写本として扱って何ら差し支えないと私は考えます。
 併せてこの三種の写本は朝野旧聞ほう藁と比較すると字体の選択、改行箇所、改頁箇所が一致しており、同一又は極めて近似した写本をトレースして筆写した物と想定できます。リンク先は大久保酉山旧蔵本(赤字に加工)と旧蔵所不明本(青字に加工)を重ね合わせたものです。ご参照いただければ一目瞭然でしょう。

〇画像比較大久保酉山旧蔵本+旧蔵書不明本
Photo

 三写本と朝野旧聞ほう藁の違いは、写本の方は筆写を行う者が文意を取れるかどうかに関係なく、書かれている文字をあるがままにトレースしているのに対し、朝野旧聞ほう藁は読解を試み、その解釈に従って読みやすいように字体の統一を図っていることです。以下は北条氏康文書で使われている「被」という文字を刊本と古証文の肉筆写本、朝野旧聞ほう藁でどのように扱っているかを比較したものです。

〇「被」の一覧(#の数字はリンク先のスケールを参照)
_2_2


 032の文字が本稿でいう所の相談せられ(原文「被相談」)の部分に当たる所で、朝野旧聞ほう藁はここを「被」と読んでいるわけですが、それ以外の「被」の文字について、古証文の肉筆写本の字体がばらついているにもかかわらず、朝野旧聞ほう藁においては、すべて同じ字体で統一されています。これが意味する所は、朝野旧聞ほう藁は文書を掲載するときに古証文の底本を判読し、意味を解釈した上で転載しているわけです。それに対して古証文の写本については、そのまま読むと判読できない部分もあるがままに筆写しています。
 それが典型的に顕われているのが以下の字句です。そのまま読み下すと「破られ破るの由」でしょうか。意味不明です。なので、朝野旧聞ほう藁は二つ目の「破」の存在を抹消しています。

〇被破破之由候(#の数字はリンク先のスケールを参照)
Photo_4


 その判断は正しいものかもしれませんが、そこに至るまでにどのような判断があったのか、朝野旧聞ほう藁の字面だけを眺めていてもわかりません。「〇相談」の部分を「相談せられ」と読むのか「相談なく」と読むのかは、少なくとも三つの古証文写本の来歴を可能な限り調べた上で判断してゆくことが妥当なのだろうと思います。

 もう一ヶ所、朝野旧聞ほう藁が判読を放棄した文字があって、それが以下の字句の四文字目の部分になります。

〇相違之刷候哉(#の数字はリンク先のスケールを参照)
_2


 刊本が「刷」と判読している部分で、著者が同じ論文と安城市史の解説では「あしらい」、その他、小田原市史では「つくろい」と読まれている部分です。手元にはあまり良い辞書が無いのですが、「刷」を「あしらい」とか「つくろい」と訓じている漢和辞典・古語辞典には今のところお目に書かれておりません。おそらくは朝野旧聞ほう藁もそうだったのでしょう。古証文写本とは似ても似つかない小さい縦棒文字で表現されています。古証文を解釈して転記した朝野旧聞ほう藁の解釈は後世の古証文から文字を判読した刊本史料集編纂者の解釈とは異なっているわけです。

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