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2017年6月10日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 第3節の論点抽出:北条氏康書状のプロファイル(その1)

 本稿は論文第3節:「織田信秀の岡崎攻落を伝える別文書 」について考察する物です。

 論文の第3節と第4節は論文著者が以前記した北条氏康書状に関する論考記事を撤回して、今回の新説に組み込むための儀式のような内容ですので、論文の第3節前半部分にある氏康書状の読み下し文まで一通り目を通したら、第5節に飛んで、飛ばした部分は後で読んでも概ね問題ないと思います。私自身は過去の論考記事のロジックと今回その修正に使われているロジックにも首をかしげる部分がありますので論文の記述通りに論考を進めますが、それよりも論文の新説の骨子とその妥当性を確認したい向きには第5節まで飛ぶことがおすすめです。

 この節の後半部分は日覚書状が「岡崎ハ弾江かう参之分にて」と書かれていることをピックアップして、同じことを言っている別文書があると以下の通り紹介しております。

〇論文より引用
実は、天文十六年に織田信秀が岡崎城を押さえたとの伝は、別の同時代史料にも存在する。

 前節でも紹介されている日覚の記述は「岡崎ハ弾江かう参之分にて、からゝゝの命にて候」であり、ここで書かれている岡崎というのは松平広忠のことであって城のことではありません。「岡崎城主の松平広忠が織田信秀に降参した」のであれば、織田信秀が岡崎城を押さえたのと同じ意味とも取りうるのですが、そのあたりの考察は拙稿では第5節にやるつもりです。

 それはともかく論文の言う別文書というのが、天文十七年三月十一日付織田信秀宛て北条氏康書状写です。「第二次小豆坂合戦」の直前に書かれたこの書状については、私は以前に詳しくブログ記事にしているわけですが、改めて論文を読みつつ、思いが至っていなかった点、なおも理解の及ばない点などを示し、考察してゆきたいと思います。

①北条氏康書状作成の背景について
 ・織田信秀の岡崎攻落を伝える別文書、天文十七年三月十一日付織田信秀宛て北条氏康書状写の紹介
 まずは、この書状がどのような背景で書かれた物かについて書かれています。ここに書かれている内容が私自身の認識と同じ物か、違っているところはあるかについて、まずはおさらいさせていただきます。

そして、その後に論文著者による氏康書状(長文版)の前半部読み下しが掲載されています。論旨の流れから「岡崎攻落」を示す別文書であることを示す目的で提示されているのですが、この論文における北条氏康書状の字句解釈は過去に出版された神奈川県史をはじめとする刊本史料集の解釈やこの書状を紹介した横山住雄氏や平野明夫氏らの著作における解釈と異なっている部分がありますので、この読み下し(原文は漢字かな交じりではありません)はあくまでも著者の解釈であることに留意する必要があります。そして、その解釈の差異についての説明が加わっているため、この節だけではなく、次節・次々節と三つの節を書状の内容の説明に費やす結果となっています。

 北条氏康書状を紹介した三つの節のうち、最初の「3.織田信秀の岡崎攻落を伝える別文書」においては、2つの点において、他刊本での字句解釈とは異なる自説の主張がなされています。

②信秀は出兵を駿州に相談したのか。
  〇論文より引用
  - 従来の刊本が「無相談」と呼んでいる部分は実は「被相談」であり、相談せられと解するべきである。

 この論点は拙ブログで過去に考証を試みたことがあるのですが、いまだに判らないのが本論文の注釈にも『古証文』原本にあたってそれを確認した結果とされていることです。私が調べた範囲では、そもそも当該文書集は成立年代が未詳で、現存するのは国立公文書館蔵の三種と東大史料編纂所蔵の一種の肉筆写本のみです。そこで③『古証文』の底本は何か について、を一稿設けて考察してみたいと思います。

④「安城は要害だから」か、「安城の要害を」か?
 この書状にある「安城者要害則時ニ被破破之由候」のセンテンスが刊本で紹介される時、「安城者」の「者」の文字には概ね「之」の字ではないか?という注釈が施されておりました。実際に私も三種写本を確認しているのですが、素人目には「者」とも「之」にもとれる微妙な字形です。過去に横山住雄氏と平野明夫氏がここを「之」として解釈して安城城を織田信秀が攻め取ったとして紹介したのですが、論文においては「之」と付されている刊本史料集の解釈に異議を呈したうえで、 「安城の要害を信秀が破った」ではなく、「安城は織田の要害だから当地の敵に勝利した」と解釈しております。この解釈の妥当性についても、考察してゆきたいと思います。

改行

 

〇北条氏康書状(写)の原文 安城市史5 資料編 古代・中世より引用(スケールは拙稿にて付記)

01---+----10----+----20
如来札近年者遠路故不申通候処懇切ニ示給候
21---+----30----+----40
悦着候仍三州之儀駿州へ被相談去年向彼国被
41---+----50----+----60-
起軍安城者要害則時ニ被破破之由候毎度御戦功
62--+----70----+----80--
奇特候殊岡崎之城自其国就相押候駿州ニも今橋
83-+----90----+----00-
被致本意候其以後万其国相違之刷候哉因茲
02--+----10----+----20-
彼国被相詰之由承候無余儀題目候就中駿州此

22--+----30----+----40-
方間之儀預御尋候近年雖遂一和候自彼国疑心
42--+----50----+----60-
無止候間迷惑候抑自清須御使并預貴札候忝候
62--+----70----+----80-
何様御礼自是可申入候委細者使者可有演説候
82--+
恐々謹言、

十七年
 三月十一日        氏康 在判

 織田弾正忠殿
       御返報

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