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2017年7月 8日 (土)

川戦:安城合戦編Ⅱ 4-1 同一差出人の文意重複同一日付文書発給はあり得ないか?

 本稿では、論文で言及されている以下の文言の妥当性について考察してみたいと思います。

〇論文より引用
同一差出人の、文意が重複している同一日付の両文書がともに実際に発給されることはあり得ない。

 戦国時代に発給される書状には命令・禁制の類、または本領安堵や寄進等の契約的な文言に保証を与えている物が多いです。書状の発給者はその内容に違反した者に対して罰を与える義務を負います。領主が発給する書状には万一の場合の強制力の発動が期待されているのです。

 このような書状が同一差出人の、文意が重複している同一日付で複数あったとすれば、争いの元になります。具体例を考えるなら、本領安堵の書状が同一人の手に二通渡ったとして、それが後年書状を受け取った者の長男と次男にそれぞれ渡ったとすればどうなるでしょうか。それぞれが発給された文書の有効性を求めて建武親政期の二条河原の落書「本領ハナルヽ訴訟人 文書入タル細葛」が言うような状況になってしまうことは必至です。
 そういう前提を置けば、論文の言う同一差出人の文意重複同一日付文書発給はあり得ないという話はうなずけるのですが、今回の北条氏康書状も同様かと考えるなら、考慮しておくべき論点が三つばかりあると思います。

 まず第一に、書状が織田信秀に対し何らかの保証を与えているわけではないということです。書状の主旨は、論文の言う通り同盟を持ち掛けた織田信秀の誘いに対する婉曲な拒絶であり、信秀の要求に対して何らかの保証を与えたわけではありません。論文には以下の記述があり、信秀の「近々の三河侵攻」への支持表明をしたと書いていますが、ここは筆が滑っていると思います。

〇論文より引用
「茲に因りかの国(に)相詰らるの由承り候、余儀無き題目に候」はあきらかに、
信秀が予定している近々の三河侵攻に対する明白な支持表明となっている。

 「相詰」の「相」を「詰」の強調語と読むとしても、ここの「詰める」は文脈から言って小豆坂合戦を前にして織田信秀が拠点とした安城城と、せいぜい「相押」さえた岡崎の城(ここについても別解釈の余地は残っていると思っています)の事を言っているのでしょう。安城・岡崎は紛う事なく三河国にあります。ここで書状が言っているのは信秀の言う現状認識に対する肯定であって、「近々の三河侵攻」を支持したと取れる文言はありません。すなわち、本書状に含まれる契約的要素は極めて希薄であると言ってよいでしょう。

第二にこの書状が発給された時の状況です。天文十七年三月十一日はいわゆる第二次小豆坂合戦の八日前。今川義元のいる駿河は織田信秀のいる尾張・三河と、北条のいる相模の間にあり、敵領を超える使者の往還には危険がありました。ぶっちゃけ発給された手紙が届かない可能性があったわけです。
 そんなときにどうするか。海を越えて唐に書状を送った遣唐使は、正使と副使が別の船に乗り、それぞれに書状を携えて航海しました。当時は航海技術が未発達だったのです。あるいは、例えば以前にも例示した通り、幕末の大老井伊直弼が桜田門外の変で倒れた知らせを江戸藩邸から領国彦根に伝える為に二ルート、二隊に分けて書状が届けられました。もちろんこれは氏康書状と同じく契約書の類ではなく、状況を伝える為の書状です。
 もっとも、この説明だと送られた文面は書状の正文も予備文も同じはずだという指摘も出てくるでしょう。そのあたりの考察のために、次に別の角度からもう一つの論点を提示してみます。

 第三に短文版と長文版の記述の差異にネゴシエーションの形跡が窺えること。以下は北条氏康書状両版のそれぞれの後半部の抜粋です。

〇安城市史5 資料編 古代・中世より引用
(短文版)
委細者、御使可申入候条、令省略候、可得御意候、
(長文版)
抑自清須御使并預貴札候忝候 何様御礼自是可申入候 委細者使者可有演説候

 同じ織田信秀宛ての書状であるにもかかわらず、短文版と長文版で書きっぷりが異なっています。前者は詳しいことは使者が言うから省略するとだけ言っているのですが、後者は清州から送られて来た使いと信秀の手紙への感謝の念を示した上で、使者の演説がつくと書いているのですね。短文版が薄礼であるのにもかかわらず、長文版は礼を尽くした書き方になっています。
 最大の違いが「清須御使」という存在が追加されている事です。ここで言う所の清須とは尾張守護斯波義統のことでしょう。つまり短文版の書き方は相模太守が尾張守護代の一門衆、氏康にとって同格者の陪臣の陪臣に対する書式であるのに対し、長文版は相模太守が尾張太守へ披露する前提でその取次の織田信秀宛てに書状が書かれているわけです。
 織田信秀は尾張内部においては、主家の意向を代行する形で頼み勢にて尾張軍を編成する一方、守護家にも守護代家にも無断で伊勢神宮や朝廷に自分の名義で寄付を行う二面性を有しております。この二面性を踏まえれば、長文版が長々と織田信秀の書状に何が書かれていたのかを述べた上で氏康の見解を述べている理由が判るような気がします。

 すなわち、使者は当初信秀の使者として北条氏康に同盟をもちかけ、短文版の拒絶の書状を得たところで、自らは「清須御使」であり、信秀は清須の取次として自分を相模に遣わした、そして自らの義務として書状を尾張太守斯波義統に披露しなければならないと言い出したのではないかと想像します。短文版は明らかに目下に向けての書式なので、それが斯波義統に披露されれば、北条氏康は非礼を働いたことになります。抵抗もあったでしょうが、使者に同盟勧誘は斯波義統の意思と主張されれば、抵抗するよりも斯波義統にも見せることが可能な書状を出した方がよいと判断したのでしょう。確証ありませんが、使者が平手政秀であれば北条氏康から二種類の書状をむしり取ることは可能かもしれません。
 いずれにせよその書式礼も考慮に入れれば、宛先である織田信秀の立場も異なっている点も考慮するべきでしょう。

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